高木健夫。新聞小説をめぐって | mizusumashi-tei みずすまし亭通信

 尾崎紅葉:金色夜叉のお宮

 

日本の新聞小説はもちろん近代(明治時代初期)に始まる。最初は〝毒婦もの〟などが話題になり、明治30年頃から〝家庭小説(メロドラマ)〟のジャンルが確立し婦人読者層が厚みを増していく。その家庭小説初期の代表作が徳富蘆花『不如帰』であったり尾崎紅葉の『金色夜叉』であった。

 

高木健夫:新聞走馬灯(1978)地産出版/自装

 

高木健夫は半世紀にわたって国民新聞社→読売新聞社記者として活躍し、彼のライフワーク「新聞小説史」の評価は高い。『新聞走馬灯』は記者時代の思い出噺ながら、やはり新聞小説に関する記事に精彩がある。珍しい落穂拾いもあって、あの折口信夫(釈迢空)が「口ぶえ(25回で中断)大正2年、不二新聞」に新聞小説を連載したとある。発行人は(なんと)宮武外骨。

 

芝居の座付作家・行友李風をスカウトして時代小説を書かせたのは挿絵画家の伊藤彦造で、この二人三脚で大ヒットしたのが『修羅八荒』である。また、宇都宮の某老人が切抜きし自家製本した新聞小説(明治40〜大正3年)トラック一台分、がめでたく近代日本文学館に引き取られたといった記載もある。

 

サーカスパンツ

 

ウエスト周りがゴム仕様でチノ素材を使っただぶだぶパンツ、これを〝サーカスパンツ〟というらしい。このところ自宅待機が続いたためか、よる年波のせいなのかウエスト周りが少々きつくなってきていて「こんなパンツが穿けたらいいなぁ」と思うのだが、ウエストが細いから似合うので… ね。