リオ五輪の伊調馨
きちんと会社に勤めたことがないのでよく分らないのだが、功利的な部分における組織団体の利点は理解できる。しかし、その利点は組織が大きくなるにつれバランスを欠く。個人における利益の所在は明確だが、組織による多人数の利益となると、その公約数を求める必要から受益者が曖昧になり、なんのための、誰のための組織であるべきなのか分らなくなっていく。
アスリート個人を支援すべき組織が、組織の(曖昧な、所在のない)意向で選手を排斥することになるのでは意味がない。組織にあって(あるいは実績を楯に)声の大きなものの無理筋が通るのであれば、決まって組織は腐乱する。各種団体に鎮座する〝役員〟って機能しているのかな。