プラトン社の雑誌:女性(大正末~昭和3年)
(われらが長岡市出身の)堀口大學が時おりプラトン社雑誌に寄稿していたせいで、地元図書館にプラトン社の「女性」が6冊「クラク(苦楽)」が1冊蔵書されていた。よって日曜日は朝から午後遅くまで(昼ご飯抜きで)自前スクラップ帳の検証ができた。私の手元にある雑誌「女性」大正12年1月号は亜鉛活字に、挿絵カット類はオフセットで印刷したのではないという疑問を抱かせる刷り具合なのだが、大正13年以降は(おそらく)発行部数が急速に伸びたせいで
凸版から凹版のマスターを作り、さらに一枚ものの凸版を生成して印刷版にしているようだ。以前と違って2工程増えるせいで印刷の仕上りは格段に落ちるのだが、いたしかたなかったものと思われる。カラー印刷に革新をもたらすことになったHBプロセスという製版が稼働するのは大正末ころで、雑誌中面の1色ページとカラー口絵や表紙は別の印刷屋で印刷した公算が大きい。月1の雑誌編集はおそらく戦場のようなありさまだったろう。
雑誌のカットには山名文夫のサインがある
最初の写真は実際に印刷された雑誌扉で、左がスクラップ帳に貼り込まれていた下絵と思われるカットである。編集会議で全体のレイアウトを決めると原稿の活字組を先に行ない、その後の空きスペースに合わせ下絵を元に(比率を変えて描いているものもあるので)カットを描き直したのではないだろうか。スクラップ帳には、小説の見出しや飾り罫なども含まれ、あきらかに印刷職人の手になるものと思われ、印刷の現場で使われたものだろう。
スクラップ帳のカットと印刷されたカットは相似なものが多くあったが、微妙にサイズや比率が違っている。かつ、印刷されたカットの方が完成度が高いことから、スクラップ帳のものは下絵と判断したのだが(どうだろうかね?)。
プラトン社のオーナーは大阪のクラブ化粧品で、確か記念事業として印刷業に手を出し、いわゆる旦那さま経営だったのと、大正末から昭和にかけての不況を凌げず廃業せざるを得なくなった。出版社が息を吹き返すのが改造社が始めた「円本(安価本の大量販売)」全集の予約販売で、ちょうど廃刊と同じころだった。この大正から昭和初期は「挿絵の時代」といってよく、山六郎・山名文夫による(高額な)カット集なども出版されたのである。
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Passenger - Let Her Go