高村真夫ともうひとつの明治美術 | mizusumashi-tei みずすまし亭通信
高木真夫02
 高村真夫:春日野(1911)
高木真夫01
 高村真夫:裸婦(1921)

高村真夫(しんぷ)は新潟市の生まれ。父はかつての長岡藩士、明治32年に上京し小山正太郎の不同舎に入門、太平洋画会会員。大正3年に渡欧、帰国後は不同舎で後進の指導にもあたった。昭和29年、長岡にて亡くなっている。文展→帝展への出品も多く准会員(だったか)に推された。東京国立博物館に「夜の停車馬」が収蔵されている。

明治美術
 もうひとつの明治美術(2003)展

明治時代の美術というのは、現在私たちが言うところの〝表現〟というのとは「ちょっと違っている」と感じたりする。私たちは幼児のうちからTVなどで富士山の俯瞰を(宇宙から丸い地球を)観たりするから、なんの不思議を感じることなく立体と理解するが、これは摺り込まれた学習と言うべきだろう。江戸時代の浮世絵ではないが、前近代の人たちは北斎「富嶽」や広重「東海道」のように、景色風景は二次元的に見えていたのだと思う。

さすがに幕末が近くなると遠近法を取り入れるが、あくまで遠近であって立体を視認して描いているわけではない。富士山を立体物として「理解する」のは近代に入ってからだ。

明治の(洋)画家たちは描く対象を三次元として理解するために〝写生〟を繰り返すのだが、この修練は「表現」というよりは「実用のための理解」であって、長く戦後になっても写生は教育の一環として引継がれていく。この〝写生〟から正岡子規によって「写生句」の運動が起こされ、雑誌などへの「写生文」の投稿を推進することによって自然主義(近代)が一般の人たちへと醸成されてゆく。近代の意識改革はなんともやっかいなものだったのである。

川野夏美
 川野夏美全曲集

昨夜の顧客の新年会で演歌歌手川野夏美によるステージ(和室広間の宴会席なんだけど)があって、美人で歌もうまいし、つい(握手付きの)CDを買ってしまった。為書き付きの色紙だってもらったぞ。よって、今日は彼女の演歌ばかり聴いております。新曲「雲母(きらら)坂」なんかカラオケで歌えるね。

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 川野夏美・前田有紀:恋のバカンス
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 川野夏美:雲母坂