
薄田泣菫詩集〝白羊宮〟を手にした杉山孝子

松本和男:評伝石上露子(2000)中央公論新社
食堂のテレビ「花子とアン」では、仲間由紀恵伯爵令嬢が自身の心を殺して嫁がれるご様子で泣かれていました。可哀想ですね。その「花子とアン」の時代、雑誌「明星」などでにわかに注目を集めた浪漫詩人に石上露子(本名杉山孝)がおりました。彼女には相思相愛の恋人がいたのですが、大きな商家の跡取り娘だった彼女には思うにまかせぬ相手でもありました。次々ともたらされる見合を拒み続けていたものの、ついに26歳の時に意に添わぬ結婚をします。
結婚後は夫の強要により文筆活動を停止させられ、結局2児を生すものの後に離婚、長男は早世、晩年には次男も亡くし家庭的には恵まれませんでした。その露子が泣く泣く嫁ぐ時に作った詩が残されており、これは多くの人々の袂を濡らしたものでした。
小板橋
ゆきずりのわが小板橋
しらしらとひと枝のうばら(野バラ)
いづこより流れか寄りし。
君まつと踏みし夕に
いひしらず沁みて匂ひき。
今はとて思ひ痛みて
君が名も夢も捨てむと
なげきつつ夕わたれば、
あゝうばら、あともとどめず、
小板橋ひとりゆらめく。 (明星:1907年12月号)
「花子とアン」仲間由紀恵嬢は折々、与謝野晶子「君死にたまふことなかれ…」と口ずさんでおられるようですが、露子は晶子より以前に〝反戦歌〟を詠ったことでも知られています。もっとも、晶子の詩は〝反戦歌〟ではないとの意見もありますので、付け加えておきます。写真のごとく閨秀歌人というに相応しく、長谷川時雨(しぐれ)「美人伝」にもとり上げられました。美しく聡明で、しかも資産家であってもなかなか人生はままならぬものですね。