行友李風「修羅八荒」伊藤彦造の挿絵 | mizusumashi-tei みずすまし亭通信
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行友李風:修羅八荒 新聞切抜 第1~200回
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伊藤彦造挿絵

大正14年10月~翌年8月まで、大阪朝日新聞に連載された行友李風「修羅八荒」の新聞切抜きです。第1~200回までのスクラップなので、後半約100回分が足りない計算になりますが、伊藤彦造はこの作品で一躍有名になります。時に22歳、タッチはいまだ高畠華宵風ですが、すでにデロリとしたらしさがでています。ついでに言えば、花輪和一は確実にこの頃の伊藤彦造のタッチを念頭に描いているのがよく判ります。

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行友李風:修羅八荒 第17回

ネットオークションでのご落札ですが、今どきこんな出物があるのですから驚きです。マニア垂涎の逸品ですが、後半部がないというのがいかにも私のコレクションらしい。さて、当時大阪朝日新聞の客員格の伊藤彦造は、新聞夕刊の連載小説の相談を受け、剣戟を盛込んだ起伏の激しい展開を提案、そこで新国劇の座付作者である行友李風に白羽の矢が立ち、挿絵は意欲満々の彦造が請け負ったのでした。

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伊藤彦造画集(S49年)

ついには極細密なペン画で主に「少年倶楽部」で活躍することになるが、もともとは挿絵画家になる意志はなく、幼児期から剣道の手ほどきを受け、真剣を使って「斬られることをおそれるな」と生傷だらけだった。家は裕福ながら独立心に満ち、子どもの頃から自活し政治家・軍人を目指したが、この「修羅八荒」の挿絵が評判になりこの世界に留まった。画風から戦争のプロパガンダに利用されたが戦後しばらくして復活した。しかし、やはり昭和初期から戦前にかけての気魂に満ちた挿絵がすばらしい。