小松崎茂・画/平野威馬男・文:懐かしの銀座・浅草(s52)
小松崎茂(1915 - 2001年)といえばタミヤのプラモデル“戦艦シリーズ”などの箱に描かれたリアルなイラストを思いだす。戦艦大和、武蔵、わけても霧島はひいきの戦艦だった。その小松崎にこんな本があるのを知ったのは最近のこと。本の半分は絵で埋め尽くされた徳用本だが、画伯の20歳前後のスケッチとあって驚かされる。人物絵などはまだ未熟なところがあるが、人力車、自動車、船舶など人造物の絵となるといきなり生彩を放つ。
平野威馬雄(ひらの いまお:1900年 - 1986年)の父親は仏人、ハーフで幼時は差別に苦しんだ。平野レミの父親になる。以下本文から→人力車は明治2年の発明で二年後には3万台に増え、政府は一台につき月八匁の車税をかけたから年総額1500両になった。自転車は佐藤アイザックが、やはり明治2年頃に初めて乗ったらしいが普及は明治20年頃、国産自転車は最初すべて木製だった。自動車は明治33年頃に登場、銀座にお目見えしたのは明治屋の箱形自動車ということである。
昭和初期の帝都を舞台に、令嬢と女性運転手が事件に挑む北村薫の「ベッキーさんシリーズ」で往時を思い浮かべてほしい。乗合(円太郎)馬車といえば山田風太郎「幻燈辻馬車」をお勧めだが、明治5年に走り、10年には90台くらいに増えた。これが、明治15年には軌道を走る鉄道馬車となり、明治36年に市街(ちんちん)電車にとって替わられる。さて昨夜帰路、雨降り前で湿度があがったせいかキンモクセイの香りが漂っていた。例年よりいくらか遅いかなと思うが、近年は気候がおかしいから平年の感覚が判らなくなってきた。