蒲原有明や薄田泣菫を境にロマン派から象徴派に、その次の段階としてダダイズム→シュールへ移行し「通常の意識を越えた、無目的な心理の深層に、生の真実と超絶的な美学を求めた」から、これが詩の内容やスタイルをいっそう理解しがたいものにした。この運動は使命を果たしたが、その精神は亡霊のように遺伝質となってあらゆる芸術にとりついている。それゆえ、現代詩が難解だ、などと愚痴るものは、おそらく現代のどんな芸術にも近づくことはできないだろう(村野四郎)。だそうです。
マイクル・コナリー「暗く聖なる夜(2003)」は、またしても再読。どれも似たような邦題つけるから困る。主人公ハリー・ボッシュ、本名ヒロエニムスは anonymous(匿名の,だれでもない)と同じ韻を踏む。シングルマザーだったボッシュの母は娼婦をして彼を育てるが、10歳の時に母親不適合者として子どもは取り上げられ、やがて路上で殺害される。後に癌末期の父親ハラーに巡り会い「ハリー・ハラー(ヘッセの人生に幻滅した孤独な男と同名になる)になっていたかもしれない」と言わせている。
マイクル・コナリー:暗く聖なる夜:古沢嘉通訳
52歳のハリー・ボッシュは前作「シティ・オブ・ボーンズ(2002)」を最後に退職している。ここでは4年前の未解決事件に端緒をみいだして調べ始める。バップ(ジャズ)が好きなボッシュは養老院に、老ジャズメンを訪れサックスを習ったりしている。もっとも、老人はすでに楽器の演奏も教えることもたいしてできないから、さりげないボランティアということになる。時おりライブに連れていき「ラッシュ・ライフ(実り多き人生:酔いどれ人生の意もある)」を聴かせている。細部も楽しめるシリーズです。
アメリカの閨秀詩人サラ・ティーズデールの美しい詩をみつけた。
忘れてしまいましょう、花が忘れられてしまうように、
いちどは黄金(きん)色に歌っていた火のように。
忘れてしまいましょう、
いつまでも、いつまでも——
「時」は大切な友だちです、
じき年をとらせてくれるでしょう。
もし 誰かかきいたなら 忘れて了ったとお言いなさい。
とうの とうの昔に、
花のように 火のように
ずっと前に忘れられた 雪の中の静かな足音のように——
(忘れてしまいましょう)