三たび直江兼続と上杉鷹山 | mizusumashi-tei みずすまし亭通信
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みずすまし亭通信-1838

兼続話をもう一回。“義”にもとるといって家康を追撃しなかった上杉ながら、最上領を侵したり旧領越後に一揆などの騒乱を起こして、あわよくば併呑しようと意欲を見せている。では、こうした領土侵蝕の大義はどこにあるのか私には分からない。やはり関ヶ原を口火に騒乱は全国に拡大すると考えた景勝・兼続の見通しが甘かったということではないだろうか。この敗戦によって上杉家120万石は米沢の30万石に減封され、大坂を壊滅させるために夏冬の陣では先鋒として奮戦する。

仕儀なきとこととはいえ豊臣秀頼を滅ぼすことに“義”はあったとは思えず、あるいは“義”を旗印に滅びの道もあったはずで「天地人」結末の納まりの悪さはそういった事実に眼をつぶっているところにある。兼続は減封後も家臣を解雇せず再建に取り組むが、米沢では住民よりも武士の人口が多くなるといったありさまで、他藩に比べようもない貧困さのまま維新を迎える。中興の祖・上杉鷹山(ようざん)については藤沢周平「漆の実のみのる国」に詳しいが、生涯綿の着物に一汁一菜で通した藩主というのは異様だ。

鷹山は藩士には畑作を励行、藩をあげて燭蠟などの殖産に励んだが、経済が好転するのは後のベニバナ栽培が軌道にのってからになる。隣藩ながら映画「たそがれ清兵衛」はその辺りを描いている。いわば直江兼続の過ちはその後数百年に及んだわけで、美しく描かれても居心地が悪いのはそんな理由による。数年前に情報誌で特集を組んだほどに兼続は好きなのですよ。それでもということです。さて午前中、亡くなられた大家さんのお見送りに行ってきました。盛大な葬礼でした。