「六マリアの悲劇」が真実であることは、統一協会の月刊誌「ファミリー」の2005年6月号が証明している。
http://ww91.tiki.ne.jp/~oka_megumi/kimminhi.pdf
引用
金明熙の証し
統一協会の月刊誌「ファミリー」の2005年6月号に金明熙の証しが載っている。
一読してみて、これは統一協会問題に関心を持っている者には大変興味深い内容であると思った。金明熙についてはすでに何度か「カルト研究」載せているが、再度取り上げてみたいと思う。
統一協会は、公式見解として文鮮明先生の結婚は3度であり、金明熙との結婚は2度目であると発表している。
すなわち、文鮮明の結婚は、1度目が崔先吉で1945年、2度目は金明熙で1954年、そして、3度目が現在の妻韓鶴子で、1960年であると言うが、ここにひとつの解決されない問題がある。
それが何かというと、最初の妻・崔先吉の離婚が1957年1月8日であるのに、金明熙と1954年に結婚しているということである。
文鮮明と崔先吉の離婚の申告がなされたのは1957年1月8日であると、統一教会史余話(ファミリー1998年11月号)に載っているのである。
文喜進は、1955年8月17日に日本で誕生しているのであるが、その時、金明熙は文鮮明の正式な妻であったのか?あるいは、文鮮明が未婚の女子大生に子供を産ませたのであろうか?
もしそうであるなら、メシアが姦淫の罪を犯したことになり大問題である。
この問題は、統一協会問題に拘わっている者としては既に答えの出ていることであるが、今回は、金明熙本人の証言を聞くと言うことに意味があると思うので取り上げてみる。
統一協会の機関誌月刊「ファミリー」2005年6月号を引用し、解説してみたい。
☆60P 「金明熙先生は、1930年に現在の北朝鮮の平安北道で生まれ、1954年に統一協会に入教しました。1955年に日本に渡った直後、文喜進様が東京で誕生されました。韓国に戻られたのは1959年10月2日に日本統一教会が創立される半年前のことです・・」
※ 1955年当時は、日本と韓国は国交樹立していないのに、なぜ金明熙が日本に渡れたのか?「東京で文喜進様が誕生されました」という表現になっているが、金明熙が喜進を産んだのであり、後日、文鮮明の子供として認知されたということは、文鮮明と金明熙は夫婦でなければならないはずである。文鮮明は何故身重の妻を日本に行かせたのか?
何故、4年間も日本にいたというのか?
このことについては、朴正華や他の証言もあるがここでは取り上げないことにする。
☆「・・また、1998年6月13日、米国のニューヨークで行われた3億6000万組一次世界祝福式で、33組の特別な祝福が行われました。金明熙先生はその33組の中の一組で、ソクラテスと祝福を受けました・・」
※ 統一協会ではこの時写された、四大聖人の妻たちの写真を家宝として家に飾るようにと言って食口たちに持たせている。文鮮明の二番目の妻として喜進を産んだ金明熙は、ソクラテスの妻になっている。
ちなみに「家宝にせよ」と指示のあった〈天地人真の父母様と聖賢夫人たち〉とは、、
マホメット夫人・李貞玉 ソクラテス夫人・金明熙 イエス夫人・張貞順
孔子夫人・李京埈 アウグスティヌス夫人・姜賢實 釈迦夫人・崔元福である。
この内、崔元福は1960年代に韓鶴子と共に二人お母様として君臨した女性で、萩原遼著〈淫教のメシア伝〉に王冠を被った二人妻の写真が載っている。
※ イエス夫人に関しては、光言社出版の〈牧会者の道〉に「イエス様御聖婚のP1114 、特別式を、1971年1月3日午前零時7分に一人の女性と執り行った」と述べている。
洪蘭淑は「わが父文鮮明の正体」文藝春秋社出版のP179で、「文鮮明はイエスを韓国人の老女とマッチングした」と述べている。
1971年に結婚式をした人物と、1998年に結婚式をした人物が同一人物であるかどうか、私としては正確なことを知りたいところである。
☆「・・以下は韓国歴史編纂委員会発行の「史報・通巻161号」に掲載された金明熙先生の証しを翻訳したものです。編集の都合で一部割愛した箇所があります」。
※ 韓国の史報に載ったものということで、日本語に翻訳される段階で、一部、割愛した箇所があると言うが、それは当然なことだと思うが、その割愛された部分が知りたいもである。金明熙については朴正華の「六マリアの悲劇」P90~にかなり詳しく述べられているが、これは朴正華が統一協会を脱会した立場で書いているものである。
興味深いことは「六マリアの悲劇」を読んでいる者が、金明熙自身の証しを読んで、どのように感じるかということである。
ここからは、金明熙自身の証しを見ていきたいと思う。
☆P68 「わたしは、梁允永先生(梨花女子大学校音楽家講師)と叔母についてその宿を訪ねると、そこに聖進様のお母様が来ていらっしゃいました。
※ 聖進様とは一番目の妻、崔先吉の産んだ子供で、後継者と目された人物である。
☆「真のお父様は、聖進様のお母様がおられ、そこに大学教授(講師)と大学生が来ていたので、とても気を使っていらっしゃるようでもありました。」
「当時わたしは延世大学校で、学校のYWCAの代表でもありました。その後、3カ月間
わたしは蕩減の道を歩み、1954年1月7日に入教したのです。」
「すると幻を沢山見たのです・・・イエス様は、わたしに「わたしがこの女性を最後まで愛したとしても、あなたはわたしを愛しなさい。三角関係になっても、わたしを最後まで愛しなさい」とおっしゃいました。」
「そのような夢のような幻を見た後、わたしは新しい結婚観が形成されたのです。イエス様が、「わたしがあの女性を愛したとしても、あなたはわたしを愛しなさい」とおっしゃったとき、妬ましく思ったのは人間の堕落から生じた嫉妬心であると結論を下したのです。」
※ 金明熙は誰を意識しているであろうか。イエス様が、「三角関係になってもあなたは、ライバルの女性に嫉妬しないで愛しなさい。」というような幻を与えるだろうか?。