http://www.asyura2.com/0505/cult2/msg/229.html   引用

仁進は私に言った。文鮮明は彼女を何度も何度もたたきながら、自分は彼女を愛するが
ゆえにたたいているのだと強調した。彼女が「お父様」の手でたたかれるのはこれが初め
てではなかった。彼女は言った。警察にいって、文鮮明を児童虐待で逮捕させる勇気があ
ればいいのにと思ったわ。私は彼女に一番いいブルージーンズと白いアンゴラのセーター
を貸し、その話によっていかに衝撃を受けたかを隠しておこうとした。
「真の家庭」内での新生活のなかでもとくに、文家の子供たちとその両親のあいだの不和
は私を唖然とさせた。私は早いうちに、これが暖かく愛情あふれた家族だという考えは間
違いだと気づいた。彼らが霊的に完壁な状態に到達しているとしても、日常の彼らの関係
にそれを見いだすのは難しかった、たとえばもっとも幼い子供でさえ、日曜の午前五時の
家族の敬礼式に集まるよう言われていた。幼い子たちは眠く、ときには不機嫌だった。女
たちは最初の数分問、子供たちをなだめようと努めた。私たちがすぐに子供たちを黙らせ
られないと、文師はか
んかんに腹を立てた。文鮮明が自分の子供のひとりを黙らせようとたたくのは何度も目撃
したが、初めてそれを見たときの嫌悪感を思い出す。もちろん、彼の平手打ちは、子供た
ちをますます泣かせるだけだった。
 孝進は「お父様」と「お母様」に対する軽蔑を決して隠そうとはしなかった。彼は両親
を便利な現金の引き出し口座以上には見ていなかったようだ。結婚当初、私たちには当座
預金口座も決まったお小遣いもなかった。「お母様」が不定期に、ただ私たちにここで一
干ドル、あちらで二千ドルとお金を手渡した。子供の誕生日や教会の祝日には、日本人そ
の他の教会幹部たちが、「真の家庭」への「献金」として何千ドルも手にして屋敷にやっ
てきた。現金は直接文夫人の寝室のクローゼットの金庫に入れられた。
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孝進は、毎月約七千ドルほどを受け取っていたが、それは私たちがタリータウンのファー
スト・フィデリティ銀行に開いた共同名義の当座預金口座に直接振り込まれてきた。この
お金の特定の出所について、「日本」以上のことは私には決して明らかにはならなかっ
た。
(わが父文鮮明の正体 洪蘭淑著 林四郎訳 文藝春秋社 P127 )