■電車内のマナー■ 詰めて座りなさい
電車内のマナー違反で最も多いのが「詰めて座らない」ことだろう。
首都圏の電車の多くはドアとドアの間の長いすは7人がけとされている。
最も多いのがここに6人で座るというものである。
最近の車両は長いすに工夫が凝らされていて、1人分ずつ凹みがあったり、
7人がけを2・3・2に区切るように網棚からいすまでパイプがあったりする。
パイプがあるとさすがにマナーが守られる場合が多いが、やはりコストがかかることがネックなのか、そこまでの車両は数少ない。
さて、この7人がけを守らない方々を観察すると2つに大別できることに気づく。
その① わざとやっている
7人全員が男の場合、はっきり言って窮屈すぎて仕方がない。
自分が楽をしたいと思うのは人間の常である。
7人が座れるようにぎゅうぎゅうに座りたがらない人間は多い。
体格的にどうにもならない場合を除いては罪悪である。
また、学生に多いのが小柄であってもこじんまり座りたがらないケースだ。
"悪い"ことが"格好いい"というより、あまりに"行儀がよい"ことが逆に"格好悪い"と感じることに原因があると思える。
7人がけにきっちり座ると特に男の場合は股を閉じ気味にしてこじんまりと座らざるを得ないことが多い。
はっきり言って格好いいものではない。
学生ということで大目に見てもよいかもしれないが、これも罪悪は罪悪である。
その② 気づいていない、何も考えていない
このケースの方が実は多い。
そして、私の考えではこのケースほど最も罪悪である。
凹みがある場合は当然のことながら、凹みがなくても7人分がそれぞれいすのどのあたりになるかは考えれば分かる事である。
しかし、それを考えずただ空いているスペースに座っている。
自分が7人がけを阻害する中途半端な位置に座っていることに気がついていない、というより何も考えていないのである。
はっきり言って馬鹿だ。
我々は知能を持った人間である。
ところがその知能を放棄しているのである。
私は人間の"欲"というものは完全に我慢することは不可能であると思っている。
それが人間である。
すべての"欲"を断ち切るなどということはありえない。
多くの"欲"を我慢できる人間は周りから賞賛されるのだ。
ほとんどの人間は"欲"に負けるのである。
だからその①のケースは罪悪ではあっても理解ができるのである。
しかし。
その②のケース。
これはまったく理解できない。
アホウなのか。
私は日頃から観察している。
気づいていない人間を。
自分の左右に余分のスペースがある。
長いすの反対の方できつきつになっている。
客観的に見れば分かる。普段そういう場面を客観的に見れる場合でも何も感じていないのか。
客観的に見た経験があるからこそ、自分が座っている時に自分の廻りの余分なスペースに気がつくのである。
ということは。
あいつらは客観的に見れる場面でも何も考えていないのだろう。
立っているときも、座っているときも考えていない。
つまり、いつも何も考えていないということになる。
やはり馬鹿だ。
何か考え事をしているのか。
見ているとそうでもなさそうだが。
自分が降りる駅かどうか確認したりしている。
つまり、自分の今いる空間に対するはっきりした認識があるのだ。
考え事をして完全にトリップしているわけではないのだ。
それでも気がつかない。
馬鹿としか思えないのである。