宵蔵スペース
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違反は迷惑をかけないようにやれ

これは数年前、私がマイカー通勤をしていた時のことである。

毎朝線路沿いの抜け道を走っていた。

細めの道路だが、すれ違えないことはなく、一方通行にはなっていない。

しかし、一箇所だけすれ違えない細さの場所があり、そこだけは私の走る方向に対して逆側からの進入が禁止されている場所がある。

帰り道に進入禁止なのでよく知っていた。

仕方がないので回り道をするのである。


さて、ある朝のこと。

いつものようにその道を走っていた。

対向から車がやってくる。

その進入禁止の交差点に差し掛かる。

私の車もその交差点に向かって走っている。


そして・・・

目を疑ったのがその車はそのまま進入してきたのである。

私の車もあと数秒でその交差点に着いたはずのタイミングだ。

当然すれ違えない場所で双方止まらざるを得なかった。

私は当然の権利を行使した。

ジェスチャーで「下がれ」と合図したのだ。

その車は数メートル下がれば交差点に戻れる位置にいた。

交通量は少ないので何も問題なく下がれる。

しかしその車は下がらず、運転手は指を横に向けた。

私の後方10メートルちょっとのところに駐車場の入口があった。

そこに入るというのである。


私は怒りで震えながら車を降りていき、運転手に言った。

向かいから車が来ているのに進入禁止のところに突っ込んで、揚句に違反をしていない相手に下がれとはどういう料簡だ?

あなたが交通違反をするのは俺の知ったことではないが、他人に迷惑をかけないようにやれよ。


そんなことを言ったと記憶している。

これに対して運転手は、

「すぐそこの駐車場に入るだけだ。」

面倒くさそうに言った。


助手席に奥さんらしい女性が乗っていたが、その人はうつむいているだけだった。


「どうしようもないな、あんたは。」

私が呆れて言うと、

その男は、フゥーっとため息をつき、どうでもいいから下がれというような表情をした。


結末は私が引いた。車を下げた。

どうにもならない状況だと悟ったからである。



はっきり言う。

こういう馬鹿は世の中にいらない。


■電車内のマナー■ かばんが邪魔です

背負ったリュックを気にもせず、混んでいる中に堂々としている。

これは問題外。

よく言われてもいることなので置いておきたい。

それとは別のパターン。


女性の方のかばんというのは肩からかけるかばんが多い。

男性のかばんも手提げの他に肩からかけるかばんも多いが、男性のは腰の辺りに来る。

大抵は後ろ側、腰の辺りにぶら下がっている。

ただし、電車に乗ると前に持ってきたり、網棚に置くケースが多く、それほど邪魔に思った経験はない。


対して。

女性のかばんである。

かばんの紐は手提げタイプと同じで長さは短い。

これを肩からかける。

するとかばんは腕と体の間に入る。

かばんは体に対して垂直になる。

そして体の前と後ろに出っ張るのである。

前の出っ張りはよい。女性も気にしている。胸もあるし、人にくっつくことはそんなにないので滅多にぶつからない。

問題は後ろである。

この出っ張りが実は刺さるのである。

特に革のかばんが一番痛い。

固い生地が体に刺さるのである。


頼むから満員電車では体の前で手に持っていただきたい。

体格的に網棚に載せにくいことは百も承知だ。

筋力的に手で持つことがきついこともだ。

でも私も仕事柄いつも3kg以上あるかばんを持っていて、満員電車では手で持っている。

いくら筋力があっても3kgは重い。

それでも肩からかけることはしない。

自分が楽をして他人に迷惑をかけるのは自己中心的以外の何物でもないと思うからだ。


せめて刺さるのが痛いということを認識して、後ろの出っ張りを気にしてもらいたい。

たまーに、でっぱりが邪魔で刺さるのがイヤなので体の向きを変えて刺さらないようにしたり、という動きをしていると「何ゴソゴロ動いてるんだ?」とでも言いたげな顔で見るコワイ女性の方もいらっしゃる。


ふざけんな馬鹿と言いたい。

■電車内のマナー■ 詰めて座りなさい

電車内のマナー違反で最も多いのが「詰めて座らない」ことだろう。

首都圏の電車の多くはドアとドアの間の長いすは7人がけとされている。

最も多いのがここに6人で座るというものである。

最近の車両は長いすに工夫が凝らされていて、1人分ずつ凹みがあったり、

7人がけを2・3・2に区切るように網棚からいすまでパイプがあったりする。

パイプがあるとさすがにマナーが守られる場合が多いが、やはりコストがかかることがネックなのか、そこまでの車両は数少ない。


さて、この7人がけを守らない方々を観察すると2つに大別できることに気づく。

その① わざとやっている

7人全員が男の場合、はっきり言って窮屈すぎて仕方がない。

自分が楽をしたいと思うのは人間の常である。

7人が座れるようにぎゅうぎゅうに座りたがらない人間は多い。

体格的にどうにもならない場合を除いては罪悪である。

また、学生に多いのが小柄であってもこじんまり座りたがらないケースだ。

"悪い"ことが"格好いい"というより、あまりに"行儀がよい"ことが逆に"格好悪い"と感じることに原因があると思える。

7人がけにきっちり座ると特に男の場合は股を閉じ気味にしてこじんまりと座らざるを得ないことが多い。

はっきり言って格好いいものではない。

学生ということで大目に見てもよいかもしれないが、これも罪悪は罪悪である。


その② 気づいていない、何も考えていない

このケースの方が実は多い。

そして、私の考えではこのケースほど最も罪悪である。

凹みがある場合は当然のことながら、凹みがなくても7人分がそれぞれいすのどのあたりになるかは考えれば分かる事である。

しかし、それを考えずただ空いているスペースに座っている。

自分が7人がけを阻害する中途半端な位置に座っていることに気がついていない、というより何も考えていないのである。

はっきり言って馬鹿だ。

我々は知能を持った人間である。

ところがその知能を放棄しているのである。


私は人間の"欲"というものは完全に我慢することは不可能であると思っている。

それが人間である。

すべての"欲"を断ち切るなどということはありえない。

多くの"欲"を我慢できる人間は周りから賞賛されるのだ。

ほとんどの人間は"欲"に負けるのである。

だからその①のケースは罪悪ではあっても理解ができるのである。


しかし。

その②のケース。

これはまったく理解できない。

アホウなのか。


私は日頃から観察している。

気づいていない人間を。

自分の左右に余分のスペースがある。

長いすの反対の方できつきつになっている。

客観的に見れば分かる。普段そういう場面を客観的に見れる場合でも何も感じていないのか。

客観的に見た経験があるからこそ、自分が座っている時に自分の廻りの余分なスペースに気がつくのである。

ということは。

あいつらは客観的に見れる場面でも何も考えていないのだろう。

立っているときも、座っているときも考えていない。

つまり、いつも何も考えていないということになる。


やはり馬鹿だ。


何か考え事をしているのか。

見ているとそうでもなさそうだが。

自分が降りる駅かどうか確認したりしている。

つまり、自分の今いる空間に対するはっきりした認識があるのだ。

考え事をして完全にトリップしているわけではないのだ。

それでも気がつかない。


馬鹿としか思えないのである。