★家財費


夫が、回復してきて、出勤試験のために、時々帰宅するようになった。


ダイニングテーブルは、暗黙の了解で座る場所が決まっていた。

夕飯の時くらいしか座らなかった夫が、朝からいる事が多くなり

食事の時はここ、食べ終わってテレビを見る時はここ、本を読む時はここ、と全部の椅子に座るので、

私と息子は、定位置が無くなってしまった。


夫の定位置にしてあげようと思い、無印良品の「人をダメにするソファー」というクッションを買ってみたが、

結局夫はダイニングテーブルジプシーから移動してこなかった。


結局、

食事が済むと、

無印ソファーに私が座って、すっかりバカになっている。それはそれでよし。


ただ、

食事後もリビングにいる事の多かった息子が、

居場所がなくなったからなのか、

すっかり息子と話す方が楽になってしまった私が、自分がいると夫と話さないな、と気を使っているのか、

さっさと部屋に戻ってしまうようになった。

ちょっと寂しい母であった。




★子ども費


家を出た娘が、きっかり1か月で、謎の高熱を出した。

やっぱりね~…想定の範囲内ではあった。

夫が帰宅していない時だったのは、有難かった。

メンタルダウン2人分は、ちょっときつい。

迎えに行って、病院に連れて行き、部屋で休ませ、食べたいと言われた物を作って食べさせた。

2日ほどで回復。

無印のソファー、買ってあげようか?と言ったら、欲しい欲しい♪と嬉しそうに笑った。

扱いにくい娘だが、ある意味、ちょろい。←だから、やばかったりもするのだが。




入院したばかりの夫は、メンタルが上がって来なくて、かなりきつそうだったが、

テスト出勤出来るくらいまで回復してきた。


絶対無理はしない、

とドクターに言われていたのだが、

私と息子が、なんとなく、飛ばし過ぎではなかろうか、と感じて、「平気?大丈夫?」と聞いても、

「大丈夫!」


「無理」というのが、感覚的に分からなかったのだろう。


結果は、オーバーワークで、

メンタルダウンの坂を駆け下りてしまった。



結局、この時の無理は、代償が大きく、

0から7くらいまで1か月であがったメンタルが、0まで落ち、また7まであがってくるまで、3か月を要した。



夫には、いつトンネルから出られるのか分からず、つらいつらい3か月だったと思う。



でも、私は、無駄な3か月ではなかったと思う。



「だって、復職しなきゃいけないんだから!

これくらい出来なきゃ、復職なんて、出来ないじゃないか!

だから、やらなくちゃダメなんだ!!!」


夫は、こうせねばならない、こうあるべき、

ねばーるクンで、ベッキー。


家族が忠告しても、聞く耳を持っていない。

身をもって、痛い目にあわないと、分からない人だろう。

1回目のテスト出勤が運よくうまく進み、早めに復職出来たとしても、復職してから再発した気がする。



病休期間のうちに、復職したいという焦りもあったんだろう。

うつは、焦りが禁物の病気で、

焦って当たり前、でも焦っちゃいけない…


結局、病休の期間は過ぎ、休職になった。


2015.2


★交通費


この時期になると毎年募集のある短期バイトに申し込んだ。

夫がウツになり、介護のある今年は無理だと思っていたが、入院してくれた。


当然、夫は仕事をしていない。

有休から、病休になった。

給料日に振り込まれるだけでもありがたいが、

勤務先から明細が送られてくる事はなく、金額の内容が分からなかった。

「分からない」というのは、人間を不安にさせるのだなぁ、と思った。


私のパート代なんて、微々たる金額だが、それでも、とにかく何か収入があるという事が、心を温かくした。


さらに、

仕事をしている間だけは、家の事を忘れられた。

仕事を逃げ場にしてはいけないが、ありがたかった。


という事で、通勤定期を買った。



★衛生費


美容院にも行かれなかった。

通りかかった、ご近所さんが来ているといった体の美容院で、カットをした。

同年代と思しき姐さんと、とりとめのない世間話をする。

高い声でどうでもいい話をするお姉ちゃんやお兄ちゃんじゃなくて、よかった。


これを書いている11月まで、一度も美容院に行っていない。

ショートにした髪が、肩から下まで伸び、白髪が目立ち、娘が会う度に「大丈夫?」と言ってくる。

大丈夫。

このまま染めないで、ありのままでいるのもいい、と思ったりする。



★お小遣い


息子が本厄。

前厄の時は息子は大学生で、親が出したが、社会人になったので、自分で出していた。

私も一緒に厄払いに行った。1万円也。




夫はいつ復職できるか分からない。

見栄を張っても仕方がない。

年末のお歳暮は、出来るようになったら再開するから、と、双方の親はカットした。

正月も行かなかった。

節分の豆まきも、いつも、飴やお菓子をたくさん買って、楽しくやっていたが、大人になったし、もういいか、とカットした。


節約しなきゃ~

と漠然と思っていても、なかなかできないが

節約しなくちゃいけなくなると、

決行できるもんだ、と思った。


2015


夫は、正月は帰って来られず、病院で迎えた。


病院に行く朝、布団から起き上がれなかった夫が、

早朝に1人で起きて、1人で着替え、布団を上げ、寝ていた部屋を片付け、

迎えに来た弟の車まで、歩いて行った。


慌しい1日を終え、病院から1人で帰宅した私は、昨日まで24時間そこにいた夫と布団のない部屋を見て、

泣けて仕方がなかった。

仕事から帰ってきた子供も、あんなに嫌がっていたのに、どうもしてあげられなかった、と泣いていた。



お父さんが病院にいる間しか、私達に安息の日はない、この間に、気力を充実させて、病院から戻ってきたら、また頑張ろう、

でも、今日だけは思いっきり泣こう、

思いっきり泣いて、

明日からは笑って暮らそう。



我が家は、以前から、娘も時々ストレスで具合が悪くなっていた。

娘の暗闇が、夫にも影響を与えたかもしれないが、

夫の強烈な暗闇は、確実に娘を蝕んだ。


娘を家から出した。


娘は安全な所に逃し、

夫は嫌がる精神病院に入れたのか、私は。

と、くじけそうになった。

しかし、

夫は私が診ればいいが、

娘は私が一生診てはやれない。確実に私の方が先に逝くのだ。また、そうあってもらいたい。


私のするべき事は、

夫をなんとか独りで暮らせるようにしてやって、かつ、私が夫に引きずり込まれないようにして、

子供に、「負の親」を手渡さないようにする事だ。




病院には週1程度で通っていた。

それ以外は

何事も無かったかのように、息子と二人で、静かに穏やかに毎日を送っていた。