「発展コースの人は4コースから6コースを使って行います。わたしに着いてきて下さい。基本コースの人はその場に残っていてください」

 発展コースの生徒が離れていき、聖子のもとには基本コースの生徒・16名の生徒が残った。聖子が以前から気にしていた中井や松下も基本コースのメンバーとして残っていた。生徒たちは大人しく黙ってなるようだった。聖子は生徒を見渡しながら言った。

「皆さんは、基本コースと言うことで、泳ぎの基本からしっかりとマスターしていきましょう。今日はまず、けのびバタ足の練習からしていきましょう。それでは、横に1列に並んでくださーい」

 生徒たちは、言われたとおりプールサイドの側面に一列に並んだ。

「では、入ってくださーい」

言うと同時に聖子がピーっと、笛を吹くと、生徒はワイワイ言いながら、プールの中に入った。

「壁に手をつけて―。笛の合図で始めてくださーい。スタート」

ピッと同時に、生徒たちが一斉に足を動かし始めた。激しい音と同時に、水しぶきが上がった。

「みんな、上手よ」

と、聖子は声をかけるなどした。ある程度、バタ足をすると、

「次はトンネルくぐりをしていきます。準備をしてください」

半分の生徒が、プールの1コースのレーンのところまで行き足を大きく広げた。ピッと笛を吹くと、残りの生徒は、それぞれ大きく水の中を潜ってくぐっていった。

「はい、交代してー」

それを2回通りさせると、聖子は生徒たちをプールサイドに上がるように指示をし、今度はコースごとに3列に座らせた。お尻から、水滴がポツリポツリと垂れるのが見えた。

「次は、クロールの練習をしていきます。まず、手で水を掻く時に、こうやって、少し外側に手を向けるようにしてください。そして水の中に入った腕は、肩から伸ばすようにして出すこと。…」

 聖子は説明しながら腕の動きをやって見せた。

「分かりましたかー。では、1列目の人から、コースの端まで腕の動きに注意しながら進んでいってください。必要な人はビート板を取ってきてください。前の人が、真ん中まで進んだら、次の人はプールに入って、進んでいってください。では、最初の列の人は入ってください」

何人かの生徒がビート板をとって戻ってきた。準備ができたのを見計らって、笛で合図をして、一列目の人に入るように指示をした。3人がプールに入ると、スタートの合図に笛を吹いた。

最前列の生徒3人が進んでいきだした。不器用ながらも、それぞれ、聖子の説明通りにしようと一生懸命なのが分かる。向こうの発展コースでも、生徒たちは順番に泳いでいるのが見えた。1列目の生徒が、真ん中の赤いラインまで進むと、2列目の生徒が入り、その後に続いていった。今日は、ある程度レベルが近い子たちと一緒だし、やる内容もあらかじめ明示されているためからか、生徒たちは、いつもよりも練習にも身が入っている。

「石野さん。手の上げ方が大分、できるようになったわね」

聖子自身、上手くできるようなった生徒に励ます余裕も出てきた。今日は、いい授業になりそうだ。順調である。

「どお、そっちの調子は?」

奈津美が様子を見にやってきた。

「あなたの言った通り、レベル別にしたら、今日は、生徒もちょっと、できるようになってきた感じね」

 腰に腕を当てて立っている奈津美を横目で見ながら、聖子は答えた。奈津美は水泳が専門ではない、とは言っていたが、水着姿を見ると、やはり体育を専門で鍛えた体だということが、よく分かる。部活動で水泳をかじった程度の人間とは、土台が全く違うのだ。

「発展コースのほうはどお?」

聖子が聞いた。

「ペア、組ませてやらせているんだけど、今まで、そこそこ泳げるつもりの子たちが、一番、奮起してくれているわね。あなたのほうも見ているから、今のうちに行ってきたら」

 最後の言葉はあまりにあっさりとしていたから、逆に聖子は抗う余裕がなかった。「わかった」とだけ言って、聖子は突き動かされるようにベンチに置いていた白いタオルを取ると、プールから離れて隅の出入り口のほうに向かった。


奈津美から声をかけられてから一週間後。今日の水泳は、昼休み後の5時間目だ。

「これで準備完了ね…!」

聖子は更衣室の鏡の前に立ち。自分の姿を眺めてみた。いつものように、オレンジ色のジャージのファスナーは、きちんと首元で折り返されている。例のものもポケットに入れている。なんだか、これから大きな大会に臨むような気分である。

聖子は鏡の前でガッツポーズをすると、それから出席簿を持ち、バスタオルを小脇に抱えて、更衣室を出た。

プールの前には、紺色のスクール水着の女子たちが、聖子が出てくるのを待っていた。奈津美のほうはすでに、いつもの白いスイミング・キャップに黒の競泳水着姿で、自分のクラスの生徒たちを集めていた。生徒と比べてみると奈津美の体は、競泳水着を着ているからか、生徒よりもずっと大人の女性らしい完成されたプロポーションだと分かる。

生徒たちは、聖子を見つけるとその前に集まってきた。目ざとい生徒たちは、思った疑問をすぐに口にした。

「先生、そのタオルはなに?」

「暑いから汗を拭くのに決まっているでしょ。さあ、しゃべらないで整列して」

 聖子が5組の隣に生徒を整列させた。奈津美が両方のクラスに聞こえるように大きな声で言った。

「みんなー、今日からの水泳は、前に言った通り、2組・5組と合同で行いますから、いいですね」

 聖子が先頭となってプールへあがる石段を上がっていく。

まずはシャワーだ。聖子が蛇口をひねると、勢いよく水が噴き出した。生徒たちはワイワイ言いながらその下に立つ。紺色の水着が濡れてさらに濃く、つややかに輝いたように見える。後から来た奈津美も生徒たちと一緒に話をしながら、シャワーを浴びていた。

 生徒がシャワーから出ると、奈津美は整列させ、号令をかける。その間に、聖子はタオルをベンチに置き、消毒液をプールに入れるなどの準備をした。

整列すると次は準備体操だ。

「次は腕の運動。手首を伸ばしてー」

奈津美が前に立ち、ピッピッピッと笛を吹きながら、模範を示す。聖子も生徒たちの後ろで、一緒に腕を伸ばしたり、首を回したりした。奈津美の号令は、やはりキレがある。生徒たちと一緒に体操をしていると、自分も教師ではなく生徒の一人になって、これから奈津美による授業を受けるような気がしてくる。

「最後に手首足首をよーく回してくださーい」

準備体操が一通り終わると、聖子は体だけでなく気持ちもほぐれ、すっきりした気分になっていた。

準備体操がすむと奈津美は生徒たちを6人ずつ各コースに並ばせた。奈津美はプールに入ると、コースの中央に立ち、

「まずは水中歩きを始めまーす。はじめー!」

きゃあきゃあ言いながら、生徒たちは水に入り、進んでいった。聖子はプールサイドに立ち、その様子を眺めていた。奈津美はやはり、生徒たちを乗せるのがうまい。

 一通り終わると奈津美は生徒たちを再び、整列させた。

「この後は、前回取ったタイムを元に、レベル別に行います。発展コースはわたし、基本コースは聖子先生が担当します。それでは前に言ったグループに分かれてください」

 タイムの測定は、奈津美と相談した次の授業の時にしたものだ。大体半々になるように分けている。生徒たちはワイワイ言いながら、発展コースは奈津美のところへ、基本コースは聖子のところへと集まっていった。

「先生は、泳がないのですかー?」

後ろから声がしたので振り向いて見ると、2組の生徒の杉下と川合が立っていた。二人とも泳力は中の上位だった。

「泳ぎません。このとおり、ジャージなんだから」

 聖子がきっぱりと言うと、杉下が、

「えー、水着、着てくればいいのに」

「そうじゃないよ、きっと、泳げないんだよ」

と、川合も言った。聖子は、

「泳げるけど、泳がないだけです。そんなことより、二人とも、サボってないで、練習はどうしたの。そんなとこでサボってないで、戻った戻った」

 聖子は二人をせきたてた。

 二人が去ってから、聖子は再び、プールに目をやった。奈津美の姿はない。上がったのだろう。5組も、個人練習に入ったようだ。今日は珍しく、どちらのクラスも見学者はいない。今、プールは女子ばかりだ。男子がいれば恥ずかしがる水着姿だが、今は、女子ばかりなので、教室で制服を着ている時以上に、のびのびとして楽しそうに見える。濡れた紺色の水着は、つやつやと輝いて見える。いま、水着になっていないのは自分だけなのだ、ということに聖子は気づいた。それがなんだか気恥ずかしい気もした。

「聖子先生、ご苦労様です」

と声がした。見ると、競泳水着姿の奈津美が立っていた。あらためて奈津美を近くで見ると、均整のとれた体つきをしていると思う。濡れた黒い水着を暑い夏の日差しが照らしている。スイミング・キャップの隙間からは、濡れた髪の毛が見えていた。自分の横に立つ奈津美に聖子はすべてを見られているような気がして、何気なく身を縮め、手を首のファスナーのところにやっていた。奈津美はそんな聖子の様子を特に気に留めている様子もなく、

「先生は、前の学校でクラスの水泳大会に出られたこともあるそうですね」

「えっ、ご存じなんですか?」

「体育教師の研修会で原先生から聞きましたよ、聖子先生はすごいって」

「あれは、原先生が一方的に持ちかけたエキシビションですよ。わたしは元々、体育専門じゃのに…」

 奈津美は褒めるつもりなのだろうが、聖子のほうは、むしろ過去の過ちを指摘されたような恥ずかしさを感じていた。

奈津美も話題を変えてきた、

「ところで、どうですか、2組の授業は…」

「まあ、なんとか、やってはいってますけど。でも、こうして見ていると、本当に、生徒によって、泳ぎに違いがありますね」

 と聖子は答えた。

「奈津美先生は、いろんなことをしているようですね。代理の授業とはいえ、わたしも参考にさせてもらいます」

「代理なんて、言ってちゃだめですよ」

奈津美は軽くたしなめた。

「生徒にとっては、水泳の授業に代わりはないんですから。それよりも、さっきの泳ぎの違いの話なんですがね、わたしも、本当はこのやり方でいいのかと悩んでいるのですよ」

「レベル別で分ければいいんでしょうね」

 聖子は何げなく言った。

「聖子先生、わたしもそう考えていたんです。それで提案なんですが、2組と5組を合同にして、レベル別に分けてやってみませんか。同じプールで二つに分けるのなら、そのほうが、効率がいいと思うのですがね」

「先生がそうおっしゃるのなら、わたしは、かまいませんけど…。ただ、2組と5組が同じ授業時間になるかが問題ですね」

「それは大丈夫ですよ。さっき時間割で確認したのですが、7月中は、全て同じ時間ですから。次の水泳の時間から、一緒にしましょう。グループ分けとか、細かいことは、また、放課後、相談しましょう。じゃあ」

 奈津美はそう言い残すと去っていった。

「なんだか楽しくなりそう…」

聖子はつぶやいた。これは記録をとるだけで終わらなさそうである。

「みんなー、集まってー!」

聖子が大声で呼んだ。更衣室から、おそろいの、紺色のスクール水着に白のスイミング・キャップをかぶった、女子たちがぞろぞろと出て、オレンジ色のジャージに、ひさし着きの帽子を被った聖子の前に整列した。

 聖子は教師になって3年目。今は、水泳の授業に立っているが、元々、この学校では国語を教えている。それが、体育の教師がけがをして急に入院することになり、その代わりとして何時間か体育を任されることになったのだ。

「聖子先生は、以前、小学校で教えられていたそうですね。そうしたら、プールの授業もされていたでしょう。それで1学期の残りの体育の時間は、水泳なので、先生にみて欲しいのですが…」

 2週間前、校長からそう切り出された時は、むしろ戸惑った。

「でも、小学校にいたのもそんなに長くはなかったですし、それに、第一、小学生と中学生では、教える内容も大分、変わってくると思うんですが…」

「いや、そんな大げさに考えなくてもいいですよ。生徒に練習させている間、先生はプールサイドで監視をして、時間の終わりにタイムをとる、くらいでいいですよ。まあ、正直なことを言えば、1学期が終わるまでの時間つぶしみたいなものですから」

「はあ…」

そう言われて、聖子は渋々、引き受けることになった。

普段は国語を教えている聖子が、水泳を担当すると聞いたときの生徒たちは、ちょっとした騒ぎになった。聖子の着ることのないジャージ姿は、新鮮だった。オレンジ色のジャージはファスナーを首元まできちんとしめている。聖子の背が高いががっしりとしている聖子の体格を、ジャージは程よく包んでいた。

聖子のプールでの授業ですることの流れは決まっていた。まず、集まった生徒たちを引き連れてプールサイドに行く。そこで、まず、シャワーを浴びさせる。いつものことではあるが、生徒たちは、きゃあきゃあ言いながら、勢いよく吹き出すシャワーを頭から足の先まで浴びた。

シャワーから出た生徒たちを再び並べさせると、準備体操だ。聖子は生徒の前で模範を示す。

いち、にー、さん、しー と聖子が言うと、その後に生徒たちが続いて、

ごーろくしちはち と続く。

「それでは首を回していきましょー」

聖子の動きに合わせて、濃紺の水着の少女たちが同じような動きをする。

準備体操は聖子は普段の授業ではもちろんすることはない。その分、体を動かすと、とてもすっきりした気持ちになる。

準備体操を終えると、水慣れとして、水中歩き、縁浮、けのびなどをさせる。その後は、各自の練習となる。

「はい、並んで。では、次は、各自の練習になります。一番前の人が半分進んだら、次の人は、プールに入っていってください。準備はいいですかー。よーい、スタート」

 並んだ生徒たちは、順番に、泳いでいく。プールサイドのベンチに腰掛け、生徒たちを監視する。泳ぎが気になる生徒には、プールから上がり列に戻る時に呼んで、教える。

「中井さん、腕が曲がっているわよ。こういうふうに伸ばしてね」

「…はい」

生徒は聞いてはいるものの、あまり向上していないことのほうが多い。中学生となると難しい。また、生徒によって泳力に差が大きいのも目に付く。スイミングスクールに通って泳げる生徒は、できることをこなしているという感じだし、一方で、時々足がつくような子も、同じことの繰り返しになっている。教室での授業以上に個人個人の差が大きいし、それが目につく。自分としては、泳ぎの苦手な子たちを何とかしたいが、それだと、泳げる子はもっと退屈だろう。

今、1~3コースは聖子が担当する2組が泳いでいるが、向こうの4コースからは、ちょうど5組の女子が泳いでいた。5組の担当は体育教師の奈津美先生だ。奈津美は聖子より3つ年上だ。黒色の競泳水着に白いスイミング・キャップをかぶって、プールの真ん中に立って、ピッ、ピッと笛をふいて、合図を取りながら、泳がせている。日焼けして小麦色の肌の奈津美の体格は、さすが体育の先生と言う感じで、筋肉がついて引き締まっている。聖子の視線は自分たちのクラスの向こうに移っていた。

 お気に入りの花紺色のジャージのズボンのゴムが緩んできたので、洋服のリフォームのお店で、入れ直してもらうことにしました。

 元々は、地元の学生服店で買ったジャージですが、すでに採用校もモデルチェンジになってしまい、そのお店では手に入らなくなってしまいました。

 このタイプのジャージなら、ネットの通販でも手には入りますが、同じ「花紺色」と言っても、実際に買ってみると、微妙に色が違っていたりします。

 自分でゴムを入れ直そうともしましたが、複雑すぎてあきらめ、やはりプロの手に頼むことに。

 持っていくと応対してくれたのは、若い女性の店員さん。こんなジャージのゴム替えなんて、変に思われはしないかな、と思いつつ、店頭にもっていきましたが、向うは特に聞くこともなく、普通に応対してくれて助かりました。

 もしかすると、こういうところでは、古いデザインだけど思い出の服などを持ってくる人もいるので、服自体について、あれこれ言わないことになっているのかもしれません。

 見てもらうと、このジャージ、ゴムが3本入っているとのこと。取り換え料金は、3150円で一週間ほどかかります、と言われました。ジャージ買うのと値段はあまり変わらないのですが、ネットで同色のを探す手間を考えるとしんどいし、元々買い替えではなくゴムの交換をと考えていたので、そのままお願いしました。