岡本かの子の小説に「快走」というのがあります。
先日、新聞に載っていたセンター試験の小説問題に取り上げられていました。
時代は昭和前期。女学校を卒業して以来、ずっと家事で忙しい日々を送ってきた道子は、ある冬の午後、土手を走ることを思いつきます。
誰も見る人がない…………よし…………思い切り手足を動かしてやろう…………道子は心の中で呟いた。膝を高く折り曲げて足踏みをしながら両腕を前後に大きく振った。それから下駄を脱いで駈け出してみた。女学校在学中ランニングの選手だった当時の意気込みが全身に湧き上って来た。道子は着物の裾を端折って堤防の上を駆けた。髪はほどけて肩に振りかかった。ともすれば堤防の上から足を踏み外しはしないかと思うほどまっしぐらに駆けた。もとの下駄を脱いだところへ駈け戻って来ると、さすがに身体全体に汗が流れ息が切れた。胸の中では心臓が激しく衝ち続けた。その心臓の鼓動と一緒に全身の筋肉がぴくぴくとふるえた。――ほんとうに溌剌と活きている感じがする。女学校にいた頃はこれほど感じなかったのに。毎日窮屈な仕事に圧えつけられて暮していると、こんな駈足ぐらいでもこうまで活きている感じが珍らしく感じられるものか。いっそ毎日やったら――
女子高時代、陸上部だった道子は、ひそかに走る快感を見出します。翌日から、着物の下にシャツとランニングパンツを履いて、走りに出かけます。
道子の思いつきは至極当然のことのように家の者に聞き流された。道子は急いで石鹸と手拭と湯銭を持って表へ出た。彼女は着物の裾を蹴って一散に堤防へ駈けて行った。冷たい風が耳に痛かった。堤防の上で、さっと着物を脱ぐと手拭でうしろ鉢巻をした。凛々しい女流選手の姿だった。足袋を履くのももどかしげに足踏みの稽古から駈足のスタートにかかった。爪先立って身をかがめると、冷たいコンクリートの上に手を触れた。オン・ユアー・マーク、ゲットセッ、道子は弾条(ばね)仕掛のように飛び出した。昨日の如く青白い月光に照らし出された堤防の上を、遥かに下を多摩川が銀色に光って淙々音を立てて流れている。
次第に脚の疲れを覚えて速力を緩めたとき、道子は月の光りのためか一種悲壮な気分に衝たれた――自分はいま溌剌と生きてはいるが、違った世界に生きているという感じがした。人類とは離れた、淋しいがしかも厳粛な世界に生きているという感じだった。
昭和前期なので、今ほどは露出の多い姿ではないでしょうが、着物を脱いで、ランニングシャツにパンツ姿になるというのは刺激的に感じられます。とはいえ、走り出す時の描写は、さすが岡本かの子女史、うまいです。
そして何より、忙しい日々に追われた女性が、走ることによって開放感を感じるという描写は、自分自身、よく分かります。ジャージを着てスポーツジムでトレーニングをしている時、そして、さらにジャージを脱いで短パンになる時のあの昂揚感を、読んでいて思い出させてくれました。
古い作品ではありますが、「分かる!」と思えた小説でした。