排斥 | ヨッシーのブログ

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神と聖書を愛していて、時々精神疾患の話やアイドルの話もします。

JWの辞め方は、大きく分けて、3つのパターンがある。1つは、自然消滅、もう1つは、断絶、最後の1つは、排斥。僕は、断絶という方法でJWを辞めました。これは、自分の遺志で、脱会届を出し、もうJWとはもう関係ありませんというものだ。この断絶という方法は、排斥者と同じ扱いになる。自然消滅は、フェードアウトしていくので、まだJWとしてカウントされる。排斥は、彼らJWの組織が定めたルールを破り、罪が発覚し、長老団による審理委員会なる弁護士無しの一方的な裁判が行われ、悔い改めない場合、辞めさせられるという措置だ。これも、断絶と同じで、JWでは無くなる。断絶と排斥になると、集会で、何々さんは、エホバの証人では無くなりましたという発表がなされ、村八分ならぬ、村十分、徹底的な無視が始まる。僕が現役の頃、二人の姉妹が排斥になった。僕は、とても悲しかった。なんとか組織に戻って来て欲しいと思っていた。組織は、この厳しい措置は、本人が本心に立ち返り、悔い改めする為だと言う。その裏側には、愛があると言う。でも実際には、まるで汚物でも見るようにその人を見る。その裏側にある愛や憐れみは、全く感じられない。ある時、僕が集会に遅れて行ったことがある。その時、1人の女性がドアの前で入ろうか、入るまいかしていた。どうしたのだろう?と思って、姉妹どうしました?入らないのですか?レディファーストでドアを開けて上げて、お先にどうぞと言って、僕は、その姉妹の後で王国会館に入った。その時、その姉妹が僕に話しかけられ、何か申し訳ない顔をし、言葉を発しなかった。あれ?おかしいな?と思った。その後、席に座ってから、あっ、彼女は、排斥された姉妹だと気付いた。僕がその時思ったのは、戻って来る気になったのだなと思って、嬉しかった。と同時に、辛いだろうけど、今は耐えて、戻って来て欲しいと強く思った。表向きは、挨拶も出来ないのだが、心の中では、いつも早く戻って来れたらいいのになと思っていた。でも実際、排斥者や断絶者のことをみんな悪く言う。会話の話題にするのも罪だみたいなことを言う人もいた。いくら、辞めたからといって、そこまでしなきゃいけないのか?元は、仲間だったのに、そこまでするか?と疑問に思った。この人たちは、そういう取り決めの裏側にある愛や憐れみを忘れていると思いました。普通は、取り決めに従いつつも、また戻って来て欲しいと思うのが、本当の仲間なのでは?