次男が 「 あなたは何と言っても、上品で綺麗なものが好きだから、
一度、銀座 ・ 日本橋 ・ 京橋の骨董店をのぞいてみたら ・・・ 」 と
言いました。
そんな折、日本橋丸善から 『 川喜田半泥子 展 』 (半泥子は父の
叔父に当たります。) の案内と、14日から16日の3日間、銀座 ・ 日本橋 ・
京橋方面の骨董店の ’ 東京アートアンティーク ’ なる催しの案内が
ありました。
小冊子を携えて 『 南方美術店 』 の南方さんにおススメの店を聞きに
行ったり、次男に意見を聞いたりしました。
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そして14日の当日、次男は睡眠不足と過労がたたって、2日前から
発熱し、珍しくダウンしてしまいました。
14日はやっと熱も下がったので、夕食の京都の朝掘りの筍で 筍ご飯 を
作った後、一人で京橋に出向きました。
京橋へは父の会社があった頃、コダックの要人が来ると父にランチに
呼び出された以来です。
果たして京橋の 『 古美術 K 』 へ入ってすぐ出てきちゃいました。
5坪の小さな店ですが、値段は可愛くなくて高かったからです。
それから 『 古美術 B 』 という店もすぐ出て、隣の 『 W 』 に入りました。
店に入るなり、店主が 「 予算は500万円ぐらいですか?」 と いきなり
唐突に言われてビックリ
今回、何も買うつもりはありません ・・・・・・・・
ガラスケースの初期伊万里のお皿を眺めていると、「 初期伊万里は、
かなり集められたのですか?」 と また突拍子のない質問。
大きなケースの中の器を一通り見てみると、一つ私の好きな薄い瑠璃色
の煎茶碗を発見してしまいました。
それだけ値段の表示がなく、店主が 「 これは1万2千円です。 1650年代
の物です。 特価ですよ。 」 と ・・・・・ 。
確かに居並ぶ2桁の高い骨董品の中では格安に感じてしまい、思わず知らず
つられて買ってしまいました。
他に勧められた柿右衛門や香合は、 「 好きじゃないから 」 とか 「 使わ
ないから 」 と言って断りました。
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家に帰って次男に見せたら、浮かぬ顔で 「 1650年って言ったら、
初期(創業期)伊万里じゃない? どうみても明治の頃の出来じゃないの? 」
と 断定されました。
私が 「 『 W 』 と言ったらちゃんとした店なのに、そんなアバウトなの?」
と 聞くと次男は 「 別にその店は嘘は言っていないんだし、そういう見方を
しただけよ。 でも日本橋 ・ 京橋 ・ 銀座の骨董屋に行くと不愉快な思い
をする事が多いよ。 楽しくないから僕は大嫌いだね! 」 と 言ってました。
次男は10年程前、銀座の有名な骨董店へ入るなり、「 あなたが買える
物はここには1つもありません!」 と たかぴしゃに言われて、すごく嫌な思い
をしたそうです。
私はその後、『 古美術 K 』 ・ 『 古美術 R 』 ・ 『 古美術 I 』
といった店をのぞきましたが、どこも高いばかりで、これといって品格のある
物は一つもなかったです。
京橋に5軒に1軒は骨董店があるなんて、今まで知りませんでしたが、私には
魅力のない店ばかりでした。
特に 『 K 』 という李朝ものを扱う店は値段が200万、300万と3ケタ
で、呆れてすぐに出てきました。
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やはり、私が次男の薦めで時々行く、用賀の 『 南方美術店 』 の方が
品の良いセンスの良いものが豊富で、値段もお手頃価格なのを再確認しま
した。
私は日本橋 ・ 京橋 ・ 銀座 の骨董店へはもう行かないでしょう。