明治生まれの祖母が愛用していた化粧箱は、黒地に金の漆で、祖母が
好きだった紫の花・鉄線があでやかに全面に描かれています。
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昔の細長い化粧机の下段に、ひそかにしまってあったのを、最近になって
見つけました。
見えない所にでも自分の好みを貫くのは、何とお洒落な祖母らしいことでしょう。
この化粧箱を眺める度に、96歳までお洒落で若々しかった綺麗な祖母を
懐かしく思い返します。
抽斗(ひきだし)をはずすと和紙が貼ってありました・・・
祖母は横浜生まれで、両親が早くに亡くなった為、貴族院議員をしていた
おじい様に大切に育てられたとか・・・・。
おじい様が地主である農地を馬に乗って見回っていたとか、祖母が女学生の
時、東郷平八郎氏が度々訪ねてみえ、その都度 ”ばあや”が学校まで呼びに
来て一緒に写真を撮ったとか・・・・。
修学旅行も”ばあや”付きでないと許さないと言われ、ばあやがついてきて
恥ずかしかったとか・・・・。
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横浜は当時ハイカラな街で、祖母も家でフランス料理を習っていたらしく、私
にもそのレシピを2冊くれましたが、旧家で林業家の祖父と結婚して、お手伝い
さんは、いっぱいいるわで、腕をふるうことは全くなかったようです。
おしゃれが好きでいつも綺麗な着物を着て若かったから、私が小学生の時に
母親とまちがわれました。
祖父母とも共通の趣味が歌舞伎で、よく二人で東京や大阪、京都へ観に
行っていました。 祖母は玉三郎がごひいきでした。
祖父が亡くなってからも、一人で上京し 「ひとりでフランス料理を食べるのも、
なかなか、おつなものよ」 と平気でした。 場馴れしていたのでしょう。
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私が育児に追われている若い頃、ノーメイクなのを 「許せないわ」 と言って
ましたが、しばらくして 「あなたの肌がきれいなのは、お化粧をしないからかも
ね」 と言っていました。
私は若い頃からルージュだけで、全くのノーメイクなのに、皆にお化粧を
してると思われていて、そう若くない(?)今でも息子達が 「化粧してもしなくて
も、たいして変わらないからしない方がいいよ」 と言う言葉に甘えてルージュ
だけです。 髪はロングのストレートですし。
私も病気するまではおしゃれが好きだったのですが・・・・。
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祖母には、私だけ昼は京都の 「志る幸」 という、知る人ぞ知る美味しい
お味噌汁屋さんへ連れってもらったり、夜はフランス料理の(ダイアナ妃も
召し上がった) 「萬葉軒」 へ連れて行ってもらいました。
ひと夏を本家で過ごしたり、二見にあった別荘へ祖父母と連れてってもらったり
・・・・。
祖母が80才位の時、私が帰省すると、机の上に 「anan」 が置いてあるでは
ありませんか。 私はびっくりして、妹に 「あなた、いい年をしてananはやめた
ら?」 と言ったら、妹が 「おばあちゃんが買ったの。新しい化粧法の特集やって
・・・」 と。
そして特筆すべきは、イケメンが好きで、ジョージ・チャキリスの『ウエストサイ
ドストーリー」を映画館へ行って22回見たとか・・・
・・・。
「吉田栄作って素敵ね」 とか気が若かったです。
だから、96才で亡くなるまで少しもボケませんでした。
好奇心が旺盛で、いろいろ本も読んでいましたし・・・・・・。
短歌の佐々木信綱の門下生で、紫が好きなので 「紫光」 という名をもらって
いました。