☆ お洒落だった祖母 ☆ |     みやこわすれの料理・つれづれ記

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明治生まれの祖母が愛用していた化粧箱は、黒地に金の漆で、祖母が


好きだった紫の花・鉄線があでやかに全面に描かれています。  


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昔の細長い化粧机の下段に、ひそかにしまってあったのを、最近になって


見つけました。


見えない所にでも自分の好みを貫くのは、何とお洒落な祖母らしいことでしょう。


この化粧箱を眺める度に、96歳までお洒落で若々しかった綺麗な祖母を


懐かしく思い返します。
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抽斗(ひきだし)をはずすと和紙が貼ってありました・・・

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  祖母は横浜生まれで、両親が早くに亡くなった為、貴族院議員をしていた


おじい様に大切に育てられたとか・・・・。


おじい様が地主である農地を馬に乗って見回っていたとか、祖母が女学生の


時、東郷平八郎氏が度々訪ねてみえ、その都度 ”ばあや”が学校まで呼びに


て一緒に写真を撮ったとか・・・・。


  修学旅行も”ばあや”付きでないと許さないと言われ、ばあやがついてき


恥ずかしかったとか・・・・。


                     ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇ 


  横浜は当時ハイカラな街で、祖母も家でフランス料理を習っていたらしく、私


にもそのレシピを2冊くれましたが、旧家で林業家の祖父と結婚して、お手伝い


さんは、いっぱいいるわで、腕をふるうことは全くなかったようです。


おしゃれが好きでいつも綺麗な着物を着て若かったから、私が小学生の時に


母親とまちがわれました。 得意げ


  祖父母とも共通の趣味が歌舞伎で、よく二人で東京や大阪、京都へ観に


行っていました。 祖母は玉三郎がごひいきでした。


祖父が亡くなってからも、一人で上京し 「ひとりでフランス料理を食べるのも、


なかなか、おつなものよ」 と平気でした。 場馴れしていたのでしょう。


                     ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


  私が育児に追われている若い頃、ノーメイクなのを 「許せないわ」 と言って


ましたが、しばらくして 「あなたの肌がきれいなのは、お化粧をしないからかも


ね」 と言っていました。


  私は若い頃からルージュだけで、全くのノーメイクなのに、皆にお化粧を


してると思われていて、そう若くない(?)今でも息子達が 「化粧してもしなく


も、たいして変わらないからしない方がいいよ」 と言う言葉に甘えてルージュ


だけです。 髪はロングのストレートですし。


私も病気するまではおしゃれが好きだったのですが・・・・。


                                ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


  祖母には、私だけ昼は京都の 「志る幸」 という、知る人ぞ知る美味しい


お味噌汁屋さんへ連れってもらったり、夜はフランス料理の(ダイアナ妃も


召し上がった) 「萬葉軒」 へ連れて行ってもらいました。


ひと夏を本家で過ごしたり、二見にあった別荘へ祖父母と連れてってもらったり


・・・・。


  祖母が80才位の時、私が帰省すると、机の上に 「anan」 が置いてあるでは


ありませんか。ビックリマーク 私はびっくりして、妹に 「あなた、いい年をしてananはやめた


ら?」 と言ったら、妹が 「おばあちゃんが買ったの。新しい化粧法の特集やって


・・・」 と。 


  そして特筆すべきは、イケメンが好きで、ジョージ・チャキリスの『ウエストサイ


ドストーリー」を映画館映画へ行って22回見たとか・・・目・・・。


「吉田栄作って素敵ね」 とか気が若かったです。


だから、96才で亡くなるまで少しもボケませんでした。


好奇心が旺盛で、いろいろ本も読んでいましたし・・・・・・。


  

短歌の佐々木信綱の門下生で、紫が好きなので 「紫光」 という名をもらって


いました。