先日、テレビの「遠くへ行きたい」で、「松阪肉と豪商故郷」を見ました。
松阪は城下町であり、”御城番(ごじょうばん)屋敷”(重文)という、全国で
唯一の、長屋の武家屋敷があり、お城番の子孫が19世帯住んでいます。
御城番の石畳が、懐かしいです。
あまり知られていないと思いますが、松阪商人は、三井財閥の基礎を築いた、
”三井高利(たかとし)”の本家があり、”三井発祥の地”なのです。
又、同じ並びに、同じく松阪商人の、”長谷川邸”、”小津邸”があり、小津家は、
当時、日本の中心だった、日本橋のすぐ近くの大伝馬町に、木綿問屋と和紙問屋
を商っており、松阪には、こうした松阪商人の本宅があるのです。
松阪商人の質素倹約等の21ヶ条というのがあり、嫁も、江戸から連れてきては
いけない。地元の嫁という決まりが、あるそうです。
吉原でも、松阪商人専用の店があり、決まった時間に返すという、約束事が
あったとか・・・・。
松阪は、あの有名な国文学者の”本居(もとおり)宣長(のりなが)”の生まれ
育った町でもあります。「古事記」の編さんをし、”もののあわれ”を知る、
研究をした人です。
宣長が、「自分の墓に、山桜を植えるように。」と遺言を残したのと同じ山桜の
樹が、我が家の庭にはあります。
番組では、”伊勢木綿”として、江戸時代に、線を特長とした柄が、江戸で
大ヒット!とありましたが、私達は、”松阪木綿”と呼んでいます。
日本映画の名監督”小津安二郎”も、松阪出身というのは、知らない方のほうが
多いと思います。中学の教師をしてたらしいです。
ところで、桜田門外の変で、暗殺された井伊直弼(なおすけ)の参謀で、江戸時代
の国文学者である長野主膳(しゅぜん)は、本陣であった母の実家の曽祖父が、
学者だったので、親交があり、よく本家に泊まったり、長野主膳からの手紙が
沢山あり、NHKの大河ドラマ「花の生涯」の撮影前には、本家へ、NHKの人達と、
東京大学の教授がみえて、長野主膳の手紙を見に、わざわざ東京から、みえた
と聞いてます。