祖母は横浜生まれで、両親が早くに亡くなった為、貴族院議員をしていた、
おじい様に、大切に育てられたとか・・・・。
おじい様が、地主である農地を馬に乗って見回っていたとか、祖母が女学校の
時、東郷平八郎氏が度々訪ねてみえ、その都度”ばあや”が、学校まで呼びに
来て、いっしょに写真を撮ったとか・・・・。
修学旅行も”ばあや”付きでないと、許さないと言われ、”ばあや”がついてき
て恥ずかしかったとか・・・・。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
横浜は、当時ハイカラな街で、祖母も家でフランス料理を習っていて、私に
そのレシピを2冊くれましたが、旧家で林業家の祖父と結婚して、お手伝いさん
は、いっぱいいるわで、腕をふるうことは全くなかったようです。
おしゃれが好きで、いつも綺麗な着物を着て若かったから、私が小学生の時
さえ、母親とまちがわれました。
祖父母とも、共通の趣味が歌舞伎で、よく二人で東京や、大阪、京都へ観に
行ってました。 祖母は、玉三郎が、ごひいきでした。
祖父が亡くなってからも、一人で上京し「一人で、フランス料理を食べるのも、
なかなか、おつなものよ」と平気でした。 場馴れしていたのでしょう。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
私が育児に追われている若い頃、ノーメイクなのを「許せないわ」と言って
ましたが、しばらくして「あなたの肌がきれいなのは、お化粧をしないからかも
ね」と言っていました。
私は若い頃から、ルージュだけで、全くのノーメイクなのに、皆にお化粧を
してると思われていて、そう若くない(?)今でも、息子達が「化粧してもしなくて
も、たいして変わらないから、しない方がいいよ」と言う言葉に甘えて、ルージュ
だけです。 ヘアーは、ロングのストレートですし。
私も、病気するまでは、おしゃれが好きだったのですが・・・・。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
祖母には、私だけ、昼は京都の「志る幸」という、知る人ぞ知る美味しい
お味噌汁屋さんへ、連れってもらったり、夜はフランス料理の(ダイアナ妃も
召し上がった)「萬葉軒」へ連れて行ってもらいました。
ひと夏、本家で過ごしたり、二見にあった別荘へ、祖父母と連れてってもらったり
・・・・。
祖母が80才位の時、私が帰省すると、机の上に「anan」が置いてあるでは
ありませんか。 私はびっくりして、妹に「あなた、いい年をしてananはやめた
ら?」と言ったら、妹が「おばあちゃんが買ったの。新しい化粧法の特集やって
・・・」と。
そして特筆すべきは、イケメンが好きで、ジョージ・チャキリスの『ウエストサイ
ドストーリー」を映画館へ行って、22回見たとか・・・・・・。
「吉田栄作って素敵ね」とか、気が若かったです。
だから、96才で亡くなるまで少しもボケませんでした。
好奇心が旺盛で、いろいろ本も読んでいましたし・・・・・・。
短歌の佐々木信綱の門下生で、紫が好きなので「紫光」という名をもらって
いました。