すべての話は起源論である。
早い話が、すべての言葉は、
物事の始まりを説明したくてしたくて発せられてゐるのだと。
いささか深刻に、である。
だからもし、私たちが物事の始まりを了知したら、
其の後、言葉はもてあそぶだけの玩具になる。
勿論、其の玩具、言葉は楽しいものだ。
現状、言葉を弄ぶ者は少ない。
言葉に深刻になり、炎上する程の人々なのだから、
何故、其れを楽しめないのか、
其れにとらわれた心が苦しむ、
其の認識すら、未だ少し困難。
すべての話は起源論である、
其れは日本で唯一の精神分析家の言葉だ。
無名の、分析家だつた。
学術論文など書けない精神分析家。
本物の人。
だから、其の死も後に知られる事になり、
其の業績もまた、其のまた後に知られる事となるだらう。
否、其の業績すら容易にかき消されてしまふだらう程の偉大さ。
文学は未だ必要なのは、其れがいささか深刻なものだからだ。
言葉はいささか必死である、
其れは心の必死さをいささか表してゐる。
必死、其れはいささかの苦しみである。
小さな病だが、
小さいからこそ病と認知される。
そして大きな病は文明文化と呼ばれ、認識され難い。
人類もまた病とは認識され難い。
病にしろ、起源にしろ、
言葉にしても、
何れも同じものなのだが、
其れを認識、了知したなら、
弄ぶだけ。
号泣レベル、
毎分。