情緒とは幻でしかない、
其れは物語であり、言葉である。
感情の事である。
人間は其れを言葉におとしめたのだつた。
否、そもそも感情とて豊かなものなのか、
人間は知らないだらう。
其れが幻か現実かも、
人間たちの多くは其処で囚はれてゐるに過ぎない。
さて異国情緒、
其処に瞑想しやう。
向き合ふに必要なのは瞑想だけなのだから。
1980年3月、
かるなばるの発売となる。
今は旧暦正月である、
冬至、クリスマス、正月が同時期なのは其のルーツに幾らかつながる意味が在るとは思ふ。
西洋にも東洋にも、似て異なる現象が在る。
謝肉とは日本語訳だが、其れが訳であれ意味は現れる。
其れが大嘗祭なのかは分からないが、
神か自然に捧げ感謝する時があつたのだ。
かるなばる、
其の瞬間だけの現象ではない。
肉体の痛み、
日々の胸の痛みが本物のかるなばる。
痛みのない口先だけの感情、情緒など退屈。
痛みを伴はない無味乾燥な時間。
其の血肉を、
胸を痛めよ。
其の為にかるなばるはやつてくる。
たまさか捧げる生贄の血肉など意味はない、
日々のあなたの血肉、
あなたの胸の痛みがかるなばるの本来の意味。
其の痛みで神や自然を感じる、
其れが認知であり、祈りの意味。
祈りが日々、毎瞬となる。
命が祈りとなる。
当然だが、痛みと心地よさの区別などない。
至福に他ならない。
こよなく愛するやうになるだらう。
かるなばれ。