『羽生結弦 王者のメソッド』特設サイト | Il nome della rosa

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『羽生結弦 王者のメソッド 2008-2016』特設サイトオープン
http://hon.bunshun.jp/sp/yuzurumethod





“絶対王者”羽生結弦を作り上げた7年間の試行錯誤と葛藤の記録。
『羽生結弦 王者のメソッド 2008-2016』 (野口美惠 著)


 羽生結弦、21歳。ドラマティックな青年です。「彼なら何かすごい事が起こる。絶対にやってくれる」。

そう感じさせるカリスマ性が、多くのファンを惹き付ける理由でしょう。特に今季は、NHK杯とグランプリファイナルで前人未到の300点超えを果たし、“絶対王者”として伝説的な活躍をしています。

しかし本書『羽生結弦 王者のメソッド 2008-2016』は、彼の順風満帆な成功を記した本ではありません。むしろ彼が苦悩し、多くの物をしょいこみ、自問自答し続けた日々をつづった“葛藤の記録”です。

実のところ、「羽生結弦を描くなら今だ」と思ったのは、世界最高得点を出したNHK杯より1カ月以上前にあたる2015年10月15日、カナダで行なわれたオータムクラシックの時でした。

いつになく覇気がありません。彼自身が最も嫌う“ネガティブ”な言葉さえ漏れていました。普段は記者との会話を楽しむかのように饒舌に語る彼が、「何ですかね……その……」と口ごもるのです。

標準装備の彼は、「自分は、こうなりたい」という像がハッキリとしていて、それを言葉にします。ところが珍しく心に迷いがあった羽生選手は、理論や目標を理路整然と語ろうとはしません。隙のある言葉をそのまま口にしていました。

その瞬間、「ああ、これが彼本来の、迷う心、そして葛藤している段階の思考なんだ。羽生結弦の真の姿を描くなら、今だな」と感じたのです。 

カナダから帰国後、すぐに2007年以降の取材ノートを、改めて読み返しました。そして「本心から出た弱気」「弱気を払拭するために、冷静に頭脳をめぐらせた葛藤」「理想の自分になるための、強気な発言」と、異なる精神状態での発言を分類していったのです。ノートを読み終わった時、そこには自然と『王者のメソッド』が浮かび上がっていました――。  

そのオータムクラシックまでの経緯を、ちょっと振り返ってみましょう。 彼は、ソチ五輪後の2014-15シーズンから、『プログラムの後半に4回転トウループを跳ぶ』ことを新たな目標に掲げていました。一般的にプログラム後半は、疲労も溜まることから4回転のような大技の成功率は低くなり、そのぶん得点も1.1倍になります。 

しかし昨季は怪我や病気が相次ぎ、『後半』の挑戦はいったん取り下げ。シーズンを通して戦い続けることが、何より先に乗り越えるべき壁となっていました。 

そんなわけで15年夏のオフ、改めて今季の課題として『後半の4回転』を掲げたのです。常に成長し続けていきたい彼にとって、1年前と同じ課題を掲げたことは、かなり複雑な心境だったのでしょう。記者陣から「去年と同じジャンプ構成ですね」と聞かれると、「昨年この時期に、フリーでもショートでも後半での4回転は出来ていましたし、そういう意味ではジャンプ構成は同じことかもしれません。でも振り付けや、プログラムの難易度をちょっとずつ変えて、ところどころ進化してる実感はあります。1日1日小さい課題かもしれないですけれども、こなしていきたいと思います」と答えました。

“ちょっとずつ”“ところどころ”“小さい”と、彼にしてはデクレシェンド(だんだん弱く)な装飾語が続きます。話す声のトーンもだんだん小さくなっていきます。

「彼にしては、なんだかハッキリしないな」 そんな印象を受ける、15年夏でした。 そして10月のオータムクラシックを迎えます。練習の時から『後半の4回転』の成功はまばらで、本番はショートもフリーもミス。すると、彼は弱気を隠さないままインタビューに現れたのです。

http://hon.bunshun.jp/articles/-/4687

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2015年3月25日



世界のトップに立った羽生結弦。
端正な容姿と強靭な精神力。
その強い意志から導き出される
「メソッド」が今、明らかになる。





2015年3月24日



いつも完璧で、オーラが溢れ、
独特の雰囲気が醸し出せる選手。
僕も彼のような、
唯一無二の選手になりたいです。
2015-2016 age 20-21




2015年3月23日



これからは自分のなかで
戦いを創り上げていかないといけない。
ある程度、孤独なものです。
2014-2015 age 19-20





2015年3月22日



僕は僕でしかない。
羽生結弦以上でも以下でもない。
2013-2014 age 18-19





2015年3月21日



フリーを演じていて、
手拍子とか目に見えるファンの応援を越えて、
第六感的な部分で
感じ取れるようになりました。
2012-2013 age 17-18





2015年3月20日


意識できる環境が、
自分にとって一番強くなれる環境なんだ
2010-2011 age16-17






2015年3月19日


最後まで集中し切る落ち着きが必要なんだ。
本当にくやしい。
でも悔しければ悔しいほど収穫はある。
2010-2011 age16-17





2015年3月18日 


僕は被災地代表じゃない。
日本代表のフィギュアスケーターなんだ。
2011 age 16




2015年3月17日 



もう世界ジュニアなんてどうでもいい。
違うよ、ジュニアじゃない。
俺は負けない、
本当の世界一になるんだ!
2010-2011 age15-16




2015年3月16日 



結局は、このタイミングで
自分の甘さを味わっておけよ、
ということだったと思います。
2008-2010 age13-15



2015年3月15日 



まだ世の中の99パーセント以上の人が
僕が知らないので、
それを1%でも増やせるように
頑張りたいです。
2008-2010 age13-15




『羽生結弦 王者のメソッド 2008-2016』特設サイト
http://hon.bunshun.jp/sp/yuzurumethod




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羽生結弦 王者のメソッド 2008-2016/文藝春秋

¥1,674
Amazon.co.jp
発売日: 2016/3/25
内容紹介
【NumberBOOKS 絶対王者・羽生結弦はいかにして作られたのか】
2014年ソチ冬季五輪でフィギュア男子史上初の金メダルに輝いた羽生結弦。
その後、世界選手権、GPファイナルを制し、2015年NHK杯では322.40という圧倒的な世界最高記録を樹立した。20歳の絶対王者はいかにして作られたのか――。
史上最年少の12歳で全日本ジュニアの表彰台に上がり、14歳で初出場した世界ジュニア選手権では「僕が日本で2人目の金メダリストになる」と宣言した。
15歳で世界ジュニア優勝、17歳で世界選手権銅メダル、19歳で五輪と世界選手権、GPファイナルの3冠達成。20歳で史上初の300点超えを果たした。「悔しすぎて、嬉しくなってきました」「僕はライバルがいるほど頑張れる」「僕はレジェンドになりたい。羽生結弦の名前を歴史に刻みたい」「これからは自分のなかで戦いを創り上げていかないといけない」「絶対王者になる」その柔和で端正な容姿からは想像できない強い意志を持った「羽生脳」と、そこから導き出される「羽生メソッド」の変遷が浮かび上がる。

プロローグ 世界王者への扉を拓いた”羽生メソッド”
Chapter 1 ジュニア時代 2008-2010 13歳→15歳
Chapter 2 シニアデビュー 2010-2011 15歳→16歳
Chapter 3 東日本大震災の日々のなかで 2011 16歳
Chapter 4 震災後の1年 2011-2012 16歳→17歳
Chapter 5 海を渡る 2012-2013 17歳→18歳
Chapter 6 ソチ五輪 2013-2014 18歳→19歳
Chapter 7 王者の証明 2014-2015 19歳→20歳
Chapter 8 絶対王者の冒険 2015-2016 20歳→21歳

※Numberで撮影した未公開写真も満載

http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163903972