草太くん、頑張れ!
山本草太「いつか金メダルを取りたい」 フィギュア期待の星が描く五輪への道筋
2015年10月16日(金)
平昌五輪には絶対に出たい」。現在15歳の高校1年生である山本草太(愛知みずほ大瑞穂高)はそう言い切る。もともとフィギュアスケートを始めたきっかけも、2006年のトリノ五輪でエフゲニー・プルシェンコ(ロシア)が金メダルを手にする姿を見てから。それ以来、常にこの最高峰の舞台に立つことを目標としてきた。もちろん現在ジュニアが主戦場の山本にとって、その道のりは険しい。ましてや14年ソチ五輪金メダリストの羽生結弦(ANA)をはじめ、有力選手が数多くそろう日本の代表になることは簡単ではないだろう。
だからこそ山本は今季の世界ジュニア選手権で優勝することにこだわっている。ソチ、バンクーバー五輪に日本代表として出場した男子選手は、町田樹さんを除き全員が同大会を制しているのだ。来季にはシニアに上がって存在をアピールし、その次のシーズンで五輪への切符を勝ち取る。そうしたプランを山本は描いているという。平昌五輪まで約2年4カ月。目標に向かって歩を進めている山本に、過去を振り返ってもらいつつ、未来への展望を聞いた。
金メダルがほしくてスケートを始める
――スケートを始めたきっかけは?
母がスケートのテレビを見るのが好きで、僕がまだやっていない時期からすごく見ていたらしいんです。それで僕が5歳のころ、母がトリノ五輪の録画を繰り返し見ていて、そうすると僕も見るじゃないですか。そこでプルシェンコ選手の演技を見て、さらには金メダルを持っている映像がすごく格好良かったんです。「僕も金メダルがほしいな」と母に言ったら、スケートを始めることになりました。5歳で教室に入って、しっかりコーチに付いてやり始めたのは6歳です。
――比較的すぐに滑れるようになったのですか?
そうですね。小さいころからジャンプは他の同い年くらいの子よりポンポン跳べるようになっていったので、すごく楽しかったです。
――ジャンプを跳べるようになったのは始めてからどれくらいでした?
だいたい小さいころ一番難しいのはシングルアクセルなんですね。確か小学校1年生で練習を始めたのかな。それで1年生後半、2年生くらいには試合で決めるようになっていたので、だいぶ成長したんじゃないかなと思います。
――当時は大阪が拠点で、大西勝敬先生に習っていましたよね。そこでは主にどういった練習をしていたのですか?
朝練と夜練があったんですけど、大西先生が言うには、朝から急にジャンプするとあまり体に良くないというか、けがをすることも多いから、午前中にスケーティングをいっぱいやれと。それで朝のレッスンはずっとスケーティングで、スピンばかりやっていました(笑)。僕はジャンプが好きなので、自分の中ではつまらなかったんですけど、繰り返しスケーティングをやっていたのが今の自分に生きているんじゃないかなとは思います。
ジャンプに悩み、拠点を名古屋へ
――名古屋に拠点を移したのが12年でした。なぜこちらに来ることになったのですか?
僕が中学1年生のころですね。中1の夏が終わって、ブロック大会後にこっちへ来たんですけど、夏休み中はずっと調子が悪くて、ジャンプですごく悩んでいたんです。けっこう僕は調子が悪くても、次の日になったら別人のように変わってポンポン跳べるんですけど、そのときは本当に何カ月も跳べない時期が続いて……。そういう中でブロック大会を迎えて、ボロボロの演技をしてしまい、当時ライバルだった山隈太一朗君(ひょうご西宮FSC)にぼろ負けしちゃったんです。すごく悔しくて、それで母とその夜にいろいろ相談して、長久保(裕)先生に教わることを決めました。次の日にはもう名古屋に行って、こちらの先生たちと相談をしていましたね。その当時一番大事な試合だった全日本ノービス選手権が迫っていて、すぐ氷に乗りたかったんですけど、いろいろ準備もあって4日くらいたってから邦和(スポーツランド)で滑ることになりました。
――長久保先生のことは昔から知っていたのですか?
顔を見たら「この先生か」と分かるくらいで、当時は名前と顔が一致しない感じでした。ただ、母がすごく詳しいので、「ジャンプで苦労しているなら、長久保先生に教わるのがいいよ」と。それで長久保先生に指導を受けるようになりました。
――大阪でやっていたときと違いはありましたか?
邦和のリンクで滑っている全員がチームなので、前みたいに個人でレッスンはしてくれなくて、本当に頑張っている人だけレッスンをしてもらえるという感じでした。最初は長久保先生に全然声をかけてもらえなくて、なんでだろうなと思っていたんですけど、徐々に慣れてきて、ちょっとずつレッスンしてもらえるようになりました。でも、最初はやり方が全然違ったのでびっくりしました。
――声をかけてもらえなかったというのは何かあったのですか?
昔は全然練習しなかったので(苦笑)。1日その種類のジャンプを1回(体を)しめて回れればいいくらいでした。あとはほとんどパンクだったので全然見てもらえなかったです。
――真面目になったきっかけは何かあったのですか?
一昨シーズンは、練習ではめっちゃきれいにトリプルアクセルを跳んでいたんですけど、全然試合では決まらなくて……。それで鈴木明子さんが「調子が悪かったらとりあえず先生の言うことを聞く」といったことをよく言っていたので、昨シーズンは「先生の言うことを聞こう」と思ったんです。先生からは「調子が悪かったらとりあえずトリプルアクセルでも数をやれよ」と言われたので、そこから失敗するにしろ何にしろたくさん練習するようになりました。
マイペースで暗記系が苦手
――現在高校1年生ですが、1日のスケジュールはどうなっているのですか?
だいたい朝の6時から朝練があって、その1時間前にはウォーミングアップをしないといけないので、5時にはリンクに着いています。ウォーミングアップを1時間やって、6時から7時40分まで練習しています。その後整氷して、8時からも練習するときがあるんですけど、ないときは学校に1時間目から行っています。8時からあるときはだいたい本郷理華ちゃん(邦和スポーツランド)や新田谷凛ちゃん(愛知みずほ大瑞穂高)たちがやる貸切練習で、2時間ちょっとあるので、そのときは3時間目から学校に行きます。学校では6時間目までちゃんと受けて、16時半に一般営業でグループレッスンがあるのでそれに出て、18時までやります。それから整氷して、貸切で18時20分から19時50分まで練習して終わりです。
――かなりハードスケジュールですね。何時くらいにいつも寝るのですか?
練習が終わったら帰って、もう21時前くらいには暇な感じなので、そこからはちょっとごろごろして22時半か23時くらいには寝ていますね。朝早いですし。
―休みはありますか?
週7で練習があるので、1日中休みの日はないです。唯一時間があるのは日曜日ですね。日曜日は朝練だけで、午後は何もないんですけど、次の日もあると思うと外に出たくないし、ゆっくり休もうとなって全然遊んだりはできないです。でも別に遊ばなくてもいいかなと思っています。
――自分の性格についてはどう分析していますか?
スケートに関しては意欲的で「あれやろう、これやろう」と思えてすごく真面目なんですけど、それ以外は……(苦笑)。勉強とかあんまり自分からやろうと思わないんですよね。マイペースな感じです。スケート以外はけっこうだらだらしちゃいます。
――学校での得意な科目と苦手な科目は?
得意なのは体育(笑)。苦手な科目はテストの点数で言うと、日本史や世界史ですね。日本史と世界史って暗記系じゃないですか。数学なんかは案外やり方が分かっていると解けるし、国語も点数がまあまあいいんですけど、暗記系はやっぱり自分で勉強しないと絶対覚えられない。教科書を全然見ないので点数が取れないです(笑)。
ネイサン・チェンを追い越せるように
――今季は世界ジュニア優勝が目標ということですが、それを達成するためにはどうしたらいいと思いますか?
本当に昨シーズンよりハイレベルになってきているので、なかなか難しいと思います。優勝は狙っていきますけど、昨シーズン3位だったからそれ以上取れるかと言ったら、そう簡単にはいかない。(ジュニアグランプリシリーズの)米国大会で戦ったネイサン・チェン選手は、シーズン頭からライバルになる存在だと思っていましたが、今回やってみてとてもライバルとは言えない存在だと思っています。あちらもたぶん僕をライバルだと思っていなくて、もっとシニアの選手を意識しながらやっていると思います。とにかくコロラドで戦ったことでいろいろな課題が見つかりました。僕もネイサン選手のように練習からほとんど完璧にしないと、本番でもノーミスの演技はできないと思うので、そういうところを今シーズンずっとやっていき、ファイナルに出られたら、そこでは何とかネイサン選手に「こいつ、やるじゃねえか」と思ってもらえるように頑張りたいです。
――特に意識するのはやはりネイサン選手?
そうですね。でも他にも上手な選手はいっぱいいます。ジュニアのトップは4回転を最低1種類は持っているので、ネイサン選手だけという考えは全然違うんですけど、僕はきちんとノーミスの演技ができればネイサン選手と戦えるし、1位、2位を争えるんじゃないかなと思います。とにかくネイサン選手に近づけるようになっていけばレベルも上がってくると思うし、ファイナルに出場できたら、今回のような30点ぐらいの点差を縮めて、できれば追い越せるようにレベルを上げていきたいと思います。
――日本の選手で意識する選手はいますか?
昨シーズンは宇野昌磨君(中京大中京高)を意識して追いつくようにずっとやっていて、僕自身のレベルも上がっていったんですけど、今シーズンはシニアに上がってしまったので、あまり日本で意識するような人はいないです。ほとんど世界に目を向けています。
平昌五輪には絶対に出たい
――将来的に目指すところはやはり五輪だと思いますが、それは平昌なのか、その次の北京なのでしょうか?
平昌五輪には絶対に出たいです。とりあえず出場が目標ですかね。出るだけじゃだめですけど、出場することをまずは最優先にします。出るからにはきちんとノーミスの演技をしたいです。小さいころからの夢は「五輪で優勝すること」とずっと言ってきているので、いつかは金メダルを取れるように頑張りたいと思います。
――印象に残っている五輪のシーンはありますか?
やっぱりソチ五輪で世界歴代最高得点を出した羽生君のショートプログラムがすごく好きですね。その前のバンクーバー五輪でも、いろいろな選手が素晴らしい演技をしていたので、それも印象に残っています。
――五輪に行くためのプランは考えたりしていますか?
今シーズンでジュニアは最後にしたいので、そのためにはやっぱり世界ジュニアで優勝してシニアに上がらないといけないと思います。日本のトップを背負う選手は世界ジュニアを制しているので、そこで優勝しないと一流選手にはなれない。世界ジュニアを取れず来季もジュニアでとなると、平昌を考えたとき、世界の人も「あの子すごいな、五輪に出したい」とは思わない。シニアでも名前を売ってアピールしないといけないと思うので、そういう意味で来シーズンには絶対に上がりたいと思っています。来季シニアに上がっても、その次はもう五輪シーズン。あんまり時間がないので、追う立場じゃなくて1シーズン目から結果を出していきたいです。それまでに4回転を武器にしていかないと戦えないので、頑張りたいと思います。
――自分のスケートのどういう部分をファンに見てもらいたいですか?
やっぱり皆さんに評価していただいているのはスケーティングの滑らかさ、ジャンプの質、最近はスピンも上手と言われるので、そういうところをもっともっと伸ばしていったら自分の武器になると思います。表現も今シーズンはすごく意識してやっているので、そういう他の人にはない自分の武器を伸ばしていけたらなと思います。
――将来的にはどういうスケーターになりたいですか?
う~ん、将来的にか……。五輪で優勝するとかそういうことしか考えてなかったです(笑)。高橋大輔さんもそうですけど、引退してからも「あの人のスケートをもう少し見たかったな」といろいろな人から思われるようなスケーターになりたいですね。愛されるスケーターというか、印象に残るスケーターになりたいと思います。
