『人は何度でも
生きながらにして生まれ変われる』

という視点から罪悪感を取り扱って書きます~。

 

罪悪感をもっていたとしても
反省したり、自分を責めるのではなくて^^

(前回の「罪悪感 ~シアワセにならない努力」はこちら

 

罪悪感をもち続ける「メリット」と
「やめていくため」のお話。

何度でも何度でも
罪悪感をやめていくことはできるってお話です。
そのために構造や理解を~

 

* * * *

 

罪悪感にはメリットと目的があるんです。

罪悪感を持ち続けるメリットは

ずばり

このままの自分でいること・・・
変わらない自分でいること。
「~したいんです」
って言い続けられること。

です。

言い換えると
変わるっていうのは
「自分のよくない」と思っているところ
をみること・・・
「やることがみつかっちゃう」

「やらなくちゃいけなくなる」
それが嫌、それを見たくないんです。

 

その力を「変わる」ための
逆な方向に使えばいいじゃん
って思うかもしれませんが
トリックがあって。

 

自分に使うエネルギーを
他者に使いすぎていたり
人の目を気にして努力をしすぎたり
すごくいい人な行動をして
(詳しくはについてはまたの機会に)
報われないという「罰」を受ける。
ということで自分を保っている。
という複雑な構造となっています。

保っているから
「変わる」というアプローチやプロセスを
頑なに拒もうとします。
(変わらない、というホメオスタシスが無意識に働く)

この状態って
「わたしはどうやってもこうだし」
自分で自分を決めつけている状態。

 

なんでかというと

罪悪感には
劣等感という心がくっついているんです。

 

劣等感・・・

私は価値がない・・・
私は必要ない・・・
私はかわいくない・・・
私は役に立たない・・・
私はどうせ・・・

 

ここで、ちょっと一呼吸して。

 

もし「わたしは」を「あなたは」に替えて、
ずっと言われ続けたらどうなります?

 

わたしだったら倒れちゃう。狂っちゃいます。
それほど本当は苦しいんです。

自分の嫌だと思っている部分を
見るのって苦しいし嫌。

だかたその劣等感を
感じて苦しみたくないから

「罰」という外側からの痛みを
受けることを選んでいて。

自分は「どうしたってこういう人だから」と思い込んで

同時に自分で決めて
責任を取るのが怖くて、嫌。

 

そりゃ、とまりますよね~。

これが罪悪感・劣等感の状態で
罪悪感・劣等感をもっていると
自分の内側ですっごい拮抗が起こっています。

 

ダメな人なんていないのに
ただその状態なだけなのだけど
ダメだと思い込んでるからね。

 

罪悪感を強く持っている人は、
他者への優しさや思いやりなどの
愛情を
持っている方がとても多いです。
そのバランスが外に向きすぎているの。

だからバランスをとっていくために
他者に向ける「愛」や「優しさ、思いやり」を
自分自身に向けていくこと。

自分の心地良い望みを
きちんと理解してあげて

その望みに近づくための行動を


最初はぞくっとするかもしれないけれど
勇気を出して
自分に与えてあげるんです。

自分と自分の内側の拮抗のために使っていた力を
緩ませて解いて終わらせていくことです。

 

拮抗のために使っていた力は
自分の心から望むことのために
使っていけるように。

 

どんどん自分の本当の望みも
はっきりしてきますよね。

 

 続く・・・