つい先日・・・と言いつつもいつだったか忘れてしまったけど、「老人ホームで毎日歌を歌わさせられたりレクリエーションを楽しませられることに、老人たちは疲弊している」というニュースがあって、高齢者だけじゃなくて、障害者とかニートの自立支援なんかも、そんなのばっかりだな、とHPを見てて思う。
高齢者はともかくとして、障害者支援や自立支援を考える時の「ありのままのあなたでいい」というのは、世間が流布する「夢は叶えるべきもの、人生は楽しむべきもの」という価値観の逆張りであるはずなのに、支援者がやたら当事者に夢を叶えさせたり人生を楽しませようとするのは、分からない部分がある。
夢は叶えなくてもいいし、人生は楽しまなくてもいいんだ、という価値観でも生きていけることを保証するのが「ありのままのあなたでいい」ということではないのか?という疑問が、どうしても残る。
障害者や高齢者に限らず「人生を楽しませさせられる」ことに、いい加減みんな疲弊してませんかね?
「つまらない/楽しい」なんていう二項分立はどうでもよくて、みんな安心して、楽になりたいんじゃないでしょうか。
自立支援や障害者支援に関する「夢を叶えさせる」とか「人生を楽しませる」というスローガンの弊害ってけっこう深刻なところがあって、例えば鬱で落ち込んでいる人を、無理やりパーティーに放り込んだり、「生きたくても生きれない人もいるのに」的なアドバイスでさらに窮地にまで追い込んだとする。
それで最悪、その人が、その心ない行為やアドバイスが直接のきっかけになって死んでしまったとしても、「そもそもその人を最初に鬱にさせた社会が悪いのだ」という言い訳が立っちゃうんだよね。無理解だったのは自分たちじゃなくて社会のほうで、彼は社会の犠牲だったのだ、って最後まで言えてしまう。
「夢を叶える」のも「人生を楽しむ」のも、もちろんとても大切なことなんだけど、そこに「命を預かる責任を負う」という重石が加わると、バランスが生まれてそこまで極端なことはできないだろう、という結論になるはずなんだけど、そういう「タガ」がぶっ飛んでいる人も決して少なくはない。
べつに生命を預かることに限らなくていいんだけど、「“責任を負う”という重石が加われば、バランスが生まれてそう極端なことはできない」というタガが外れていることをアピールするメリットはそんなにないはずで、だから逆に「夢を叶える」「人生を楽しむ」とアピールしている人は、純粋に怖い。
単純に、酔っぱらいと同じだよね。どんな方向にしろ、タガが外れている人は、どこかで自分に酔っている。