3年目の「3.11」 | 誰もいないどこかへ
 今日外でテレビを見ていたら「震災から3年。被災地は今」みたいなタイトルの特集番組が流れていたんだけど、自分的には、「震災から3年。被災地は今」よりも、「震災から3年。人間は今」のほうが気になる。
 3年目の3月11日を迎えようとするまさにこの週に、サッカーJリーグの浦和レッズのサポーターが差別的横断幕を張って問題になった、というのは、何かを象徴している気がするんだよね。

 そのテレビ番組でも、「3年前の震災直後と今とで、生活はあの時よりむしろ苦しくなった」と、今も避難生活を余儀なくされている人がインタビューで答えていた。
 原発の問題とかヘイトスピーチとか、いろいろな面で、3年前の3月11日から、「他人に対する差別意識が広がった」というのはきっと間違いなくて、それはたぶんそれだけ、「“人の幸福を妬み、人の失墜を笑う”くらいしかできないほどに生活が追い詰められている人」が増えている、ということなんだと思う。
  改めて考えると、佐村河内さんから端を発した聴覚障害の話も、原発やヘイトスピーチや生活保護の問題も、根は全部同じで、「風評被害」なんだよね。
 ある一点から付いた火種が、瞬く間に全体に広がっていく。「風評被害」という言葉自体も、「3.11」をきっかけにして大きく広がったものだし。

 人間は生まれ持った性質として、誰もが差別意識を持っている、というのは間違いないんだろうけど、ある時期まで日本はきっと「差別する以外に、やることがあった」。
 今は人を差別する以外に、やることもできることもない人がとても増えている。この3年で起きた変化は、そういうことなんじゃないかと思う。