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アッション社長ブログ

Asian Passion lasts eternally.

香港に来て1ヶ月が経過。

備忘録も兼ねて簡単に振り返ってみたいと思う。


まずこちらに来た目的を整理。


 1.香港法人設立する

 2.現地の生活に慣れる

 3.現地法人の顧客開拓

 4.現地企業のWebの活用レベルの把握する

 5.香港⇔東京のビジネス連携が可能か確認


初回は法人設立についての振り返り。


日本での登記は全て自分で行った。

起業の本を買い、定款を作って公証役場で確認してもらい、法務局に行って、、、

起業したのはいいけど超暇だったので。笑


今回は時間も限られていたので

信頼のおける日本人のエージェントにお願いをした。


下記のサービスを全てお願いして今の為替レートで約17万円!

自分でやったら1万円程度で済む。

・法人登記
・法人銀行口座開設サポート
・インターネットバンキング開通と使用方法のサポート
・登記用住所の提供(1年間提供)
・会社秘書役の提供(法人登記日より1年間提供)
・登記用電話番号およびFAX番号の提供(法人登記日より1年間提供)
・会社登記書類、議事録等の保管
・各種郵便物の受け取り、保管、開封連絡、転送手配など


※申請書類は全て英語だがエージェントがここにサインして下さいと
 書いていてくれているので英語が出来なくてもほぼOK。

こちらの実作業としては申請書類に何箇所かサインするのみで

2週間程度で登記が完了。

英語名:Assion Hong Kong Company Limited.

中国名:亜雄有限公司


日本では全て自分でやったのに25万円くらい。

起業時って貧乏なんだからもっと安くしようよ。>日本の役人さん。


完了すると日本でいう社判と代表印を受け取る。

$アッション社長ブログ-chop

さらに定款、登記簿謄本といった書類も受け取る。

$アッション社長ブログ-article


ここまでのプロセスは日本にいても全て対応可能。


登記が完了したら実際に香港に来て口座開設をする必要がある。

口座開設については個人がHSBCなので恒生銀行(ハンセンバンク)にて

開設することにした。


必要なものは

・代表印
・登記簿謄本


エージェントの方が一緒について来てくれて

口座開設についてアドバイスをくれる。

その日の内にカードとパスワード類が発行される。


ネットバンキングのパスワードはセキュリティ上2つあり

一つは当日、もう一つは香港の住所宛に郵送される。


以上で法人設立は完了。


設立する際に感じたこと。


・法人設立代行業者は怪しいものも多いので信頼出来るところを選ぶ

 →怪しい会社もたくさんある。最初で騙されたらそれこそ海外は

  散々だとなってしまうのでパートナー選びは慎重に。


・現地法人の目的を明確にする

 →営業拠点なのか節税対策を目的とするのかでスタンスは変わる。


・為替インパクトが半端ない

 →香港ドルはドルとほぼ連動している。

  この2ヶ月でも最大6%近く変動しているので両替の方法と

  タイミングは注意したい。色々試したが日本よりも香港で。

  銀行窓口よりもネット上がレートがいい。



  
最近は円が実力以上に高く評価されているので

海外に出ていくにはまたとない機会。


成長著しい市場(国)で共に成長して

それをまた日本の復活の為に還元出来ればと考えている。

法人設立はその最初の第一歩。



本エントリーへの質問などはtoiawaseあっとassion.jp

までお願いします。
7月1日にアッションの香港支社

Assion Hong Kong Company Limitedを設立した。

これから先、今の気持ちを忘れない為にそして

ブレることないように備忘録を書きたいと思う。


AssionはAsia+Passionから由来している通り

「世界で活躍する人・企業・サービスを創造する」

という理念のもとで

創業当時よりアジアの成長に焦点をあてた組織体制

事業内容を模索してきた。


創業から2年半。

ようやくその下地が出来てアジアで勝負する時だと

思いTOPである私が覚悟をもって香港で事業を興す。


拠点については最後までシンガポールと迷った。

最終的な決め手はアジアの主要都市へのアクセスと

5時間のフライトで一番多く世界の人口にリーチ出来ることだった。


何をするのか?とよく質問を頂くが正直まだ何も決めていない。

やることを決めて行って成功するほど甘くはないと思っている。


ただ漠然とやりたいなと思っていることは

「海外で活躍している姿を事業を通して見せて日本を元気づける」

ということ。


今回のなでしこジャパンしかりイチローのメジャーでの活躍しかり

インテル長友しかり、海外で活躍している日本人を見るだけで

人々は勇気づけられ妙なアドレナリンが出るものだ。

$アッション社長ブログ-ichiro



出す側でなく出させる側になりたい。


加藤順彦さんのアジアのウミガメとなれという記事にも

大きな影響を受けた。

http://blogs.itmedia.co.jp/ykatou/2011/04/ver-0c8a.html

この一節。しびれるな~。

これからの日本はベンチャーには逆風が続くと思います。前進できなくもないとは思いますが、成長を志すのならば追い風の吹いているところに立つべきだと思います。そして大きく成長したあとに、日本に戻り日本の社会に貢献すればいいと思います。そうすることが日本に変革を起こす上で、もっと効率的だと思っています。

地球は丸かった。天動説ではなかった。世界は繋がっていた。
日本を飛び出てみましたが、アジアの果てまでいっても断崖絶壁はありませんでした。私たちは海を渡り、大きな世界を市場と見出せるのです。



また、出張先では台湾系カナダ人に唐突にこんなことを言われた。


「僕は君たちには負けない。貧しさから抜け出す為全てを捨てて

覚悟を決め、32年前に単身でここに来た。

言葉もわからず、知り合いもコネもないなかレストランで

ひたすら皿を洗ったものだ。いつか家族をこちらに呼べるくらい

成功するという希望だけを頼りに。」


色々と会話をした最後に一言こう言われた。



「今の日本人にそれくらいの覚悟がある奴はいるか?」



ダンボール工場を経営する50歳後半のそのおじさんは

今は家族をみなカナダに呼び暮らしている。


「覚悟」はこうも深く偉大なものだということに気付かされた。


「俺も負けないよ。」心の中でそう思ったが言わなかった。

自分の中での覚悟が決まった瞬間だった。


幕末、戦後と日本はピンチのときほど外に

目を向けて復活を遂げてきた。

今度は僕らの番だ。



頑張ります。


木下洋平 香港にて
インターンの山崎君の卒業が決まった。


彼は2009年8月にアッション初めてのメンバーとして

入社してくれた。


まだ3畳くらいの間借りオフィスだったとき。

夏は蒸し風呂のように暑く、冬は息が白くなるような

すごい環境だった。きっと驚いたに違いない。

そんな中でも彼はもくもくと正確に業務をこなし結果を出していった。


当時ようやく何とか食べていけるように

なったものの、採用するまで3日くらい悩んだ。

決断は間違いじゃなかった。


彼の人柄と仕事に対しての姿勢を評価して

アッションとしての最初の内定を出した。

彼はそれを快く受けてくれたが、

一社だけ受けさせて欲しいと言った。

それがサイバーエージェントだった。


サイバーはいい会社だと思っていたので

自分も精一杯応援した。

本音を言うとうちに入社して欲しかった。

けれども確固たる自信がなかった。


そして超氷河期の中、彼は見事内定を勝ち取った。

第一志望を一社のみ受けてそして内定。

何という省エネ就活。。


その後もビジネスの楽しさがわかってきた彼は

いくつものアイディアを提案してくれた。

はじめはアイディアを出すばかりだったが

やがて実行に移すようにもなった。



個人事業主登録をしてアッションと共同事業も

展開した。去年のこと。内定を1年先延ばしにして

その事業に注力したがそれは成功させてあげられなかった。



彼ならきっと優秀なプロデューサーになるに違いない。

サイバーで立派に成長してまたいつか一緒にビジネスをやろう。

でもやっぱり別れは寂しいものだ。

$アッション社長ブログ-yamasaki
6月18日に33歳になった。


中学1年の時の担任が33歳だった。

その担任は腰回りに肉がつき始めメガネに七三分け

当時イケテナイなと思っていた。


それが私の33歳像。


それはさておき、今年は

会社のメンバーにサプライズでお祝いをしてもらった。

何歳になっても祝ってもらうのは嬉しいこと。

本当に感謝。


当日は妻とリッツカールトンのくたにでランチ。

$アッション社長ブログ-くたに


肉が少し小さいかな。


モチベーションアップの為とかそういうのじゃなくて

心の底からお祝いが出来るそんな会社にしていきたいと

本当に思った。


格好良く歳取るぞ!

昨日の生産性はひどいものでした。

手も動かず、頭も働かず、何もしないほうが

よっぽど良いのでは?と思ったほどです。


今日、何とか復活しました。


昨日はおとといより3%退化したが

今日は昨日より5%進化した気がします。

つまりおとといが100だったら昨日が97そして

今日は102ということになります。


筋トレを1日でも怠ると元に戻しにくいということを

部活をやっていた時によく言われましたが

それが仕事をしていてものすごくハラに落とました。


「継続は力なり」これは万事に通じますね。
ある事業の撤退を決めました。


その事業はパートナーがアイディアとプロデュース

当社にて開発と言う役割で行っていたのですが

計画していた目標の到達が困難と判断して

期日の5月末が来る前に決断しました。


決断とはまさに「決めて」「断つ」ということ。

過去の経験上、変に妥協して延命していても

お互いにとって良いことないですので

その日のうちに全てをクローズしました。


今回の失敗からの学びは

・市場参入へのタイミング
・自らが利用者になれないサービスは難しい
・課金インフラの整備の遅れ
 →公式、ソーシャルプラットフォームにて課金が出来るのは有利
・課金の値付けの難しさ
 →値付けこそ企業の哲学。難しい。
・所有の原理
 →レンタカーを洗車する人はいないとバフェットはよく
  例に出しますが事業も同じで少額も出資をしたほうが
  事業に対するコミットが強かったのではと初期の握りに
  甘さがあったと反省しています。


今回の失敗を生かし、さらに上のステップを目指します。

Yさんまた出直しましょう。
これからホーチミンへ出張です。

久々の成田空港。家から1時間半はやはり遠すぎる。


今回の目的は3つ。

よき開発パートナーの発掘と市場調査、

そして現地で頑張っている日本人との会うことです。


最後に行ったのが2000年。あれから11年経ちどのように

成長しているのか足を使ってこの目で確かめたいと思います。

それでは行ってきます!
友が亡くなってから8年が経ちました。

今でも知らせを受けた時の情景がはっきりと思い出されるほど

自分に取ってはすごく大きな出来事。


毎年欠かさず行っているお墓参りに土曜日に行きました。

確実に歳を重ねて随分前に友の年齢を超えてしまって

いるのに、いつまでもいいおっさん、いい兄貴分でいるところが

彼のキャラを現しています。


墓前ではいつも温かく見守ってくれていることへの感謝と

来年までに成し遂げたいことを約束しました。


志半ばであの世に旅立った友の分まで頑張って

恥ずかしくない人生を歩みたいと想います。
「人生苦しい時が上り坂」


この言葉によって数えきれないほど勇気づけられています。

人は困難に直面したとき、「何故自分だけ?」「もう駄目だ」と
ネガティブに考える人もいれば、「壁は超えられる人にしか与えられない」
「厳しい環境こそ人を成長させる」と考えられる人もいます。

自分も新人で配属された部署で来る日も来る日も2-3時まで働き
土日も仕事の夢で飛び起きることがあったころ、自分の置かれた
環境を恨んでいました。

定時で帰って合コンしている同期もいるのに何故?と
自暴自棄になっていました。

ところがある本を読んでから考え方が180度変わりました。
この環境を選んだのも自分。ここでの苦労も将来への投資。
そのように考えられるようになり、どんな面倒なことも
率先して引き受けられるようになりました。


そして今年は社会人10年目。

この時引き受けた(当時)面倒だった仕事を通じて
出会ったパートナーと共に起業しました。

当時、死ぬほど面倒だった仕事の一つ一つの意味が
解るようになりました。
点と点が繋がって、線になり始めた感じがします。

「若い時の苦労は買ってでもしなさい」

先人は本当に深いことを言ったものです。
まだまだ若造なので引き続き苦労し続けたいと思います。

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初回からブラゼルのスリーラン!!