いよいよ決着。


マリア・ブチルスカヤ(ロシア・6位)

アルフレッド・シュニトケの「flight a Tale of Wanderer」より

両足着氷をはじめとしてミスを連発してしまった。

ルッツ2回の構成じゃなくてループ2回の構成じゃダメだったのだろうか。

元々ジャンプの質がよろしくないのと、年齢的な問題なのか確率も下がってきていたので、比較的得意な種類を多く跳んだ方が精神的に楽だったはずなのですが。

3-3がない(厳密に言うと3T +HL +3Sは跳んでいたのだけど)状態ではルッツ2回で対抗するしかなかったのでしょうが…。

彼女のプログラムって評判が良かった(女性らしい、独特の振付…等)みたいですが、私は彼女のスケーティングが好きじゃなかったので、イマイチピンときていませんでした。

あの強気な性格は好きでしたけど笑。

当時29歳。

この直後の世界選手権で予選時にコーチが試合開始時間に間に合わないというトラブル(渋滞により)に巻き込まれてしまい、精神的に動揺して、本戦を棄権してしまいます。

…コーチ云々は建前で、モチベーションが下がりつつあったところにトラブルが後押ししたんじゃないか…と私は見ていたのですが。

世界選手権予選を最後に引退。

現在は、国内で解説者として活動しているようです。


サラ・ヒューズ(アメリカ・金メダル)

ラベル「ダフニスとクロエ」、ラフマニノフ「パガニーニの主題による狂詩曲」

…色んな出来事が重なって生まれた金メダルだと思います。

滑走順に恵まれましたね。

スケーティングがヒューズと同じかちょっと下くらいだったブチルスカヤの後の滑走、有力者だったクワン、コーエン、スルツカヤより前の滑走でプレッシャーが少なかったというのがかなり大きかったように思います。

振付もブチルスカヤよりも細かく、ヒューズの姿勢の良さを活かしたもので、比較するととても綺麗だったのでより演技が引き立ちましたね。

もしクワン、コーエン、スルツカヤの後の滑走だったとしたらあそこまでの演技をするのは難しかっただろうし、スケーティングの違いがくっきりしてしまい、点数があそこまで上がっていたかどうか。

あとはオリンピックの場合、ジャッジは回転不足等に甘くなる傾向があります。

もっとも、この頃は旧採点(相対評価)だったので細かい採点があったわけではなく…。

もし3-3でステップアウトやシェーキーな着氷をしていたら、金メダルは恐らく無かった可能性も…。

公式練習で調子が良かったので、ジャッジの前評判がすでに高かったこと、そして前評判以上の演技をしたこと、クワン、コーエン、スルツカヤが相次いで1ミスずつを犯してしまい、ジャッジ評価が伸び悩んだことで少ないチャンスを見事にモノにしました。

当時16歳。

直後の世界選手権は見送りますが、翌2003年の世界選手権に出場して6位。その後引退宣言はしないままフェードアウトしていきました。

1年前と同じ人物とは思えないくらい、身体も演技もキレがなくなってしまっていて、モチベーションを保つことの難しさを身をもって示していたのを思い出します。

イェール大を卒業後、法科大学院に進み現在は弁護士だそうです。

そーいえば派手に喜んでいたコーチ(笑)、ロビン・ワグナーはどうしているんでしょうね。

ヒューズ以降、生徒を何人か見ていたはずですが結局鳴かず飛ばずで、ソルトレイク五輪から数年後、コーチ業を廃業してボランティア活動をしているらしい、とも…。


ユリア・セベスチェン(ハンガリー・8位)

仮面の男より

新採点の必要性を認識させられる選手です。

高くて基本に忠実なジャンプ(リップという欠点はあるものの)が評価されないとは…。

ちょいちょいミスはありましたが、この頃に新採点が導入されていたら、ロビンソン、ブチルスカヤよりは上だったんじゃないか、と。

もっと言えば滑りの質、ジャンプの質、スピンの質はヒューズとブチルスカヤよりは上だと思うんですけど。

こういううやむやな採点が堂々と行われていたから、点数を巡るスキャンダルを密告されたんじゃないか、とも思わされます。

ミスはありましたが、世界観が損なわれたとは思わず、本人も最後まで諦めずに滑り切りました。

これだけ注目された最終グループで滑るのは大変だったと思います。

当時21歳。

長野、ソルトレイクシティ、トリノ、バンクーバーと4大会五輪連続出場と息の長い活躍を見せてくれました。

ユーロ選手権は2003年3位、2004年はハンガリー選手史上初優勝という快挙を成し遂げています。

2010年に引退。現在はプロスケーター、コーチとして活動。


サーシャ・コーエン(アメリカ・4位)

カルメン組曲より

3Lz +3Tは、回転不足+両足+転倒。

目立つミスはそこだけでした。

ルッツが回転不足+両足になった時点でコンビネーションをやめれば良かったのですが、メダルをなんとしても獲得したかったのでしょうね。

よっぽど緊張していたのか、表情に余裕がありませんでした。

総合力は明らかにヒューズより上なのは明白ですが、プログラムが悪いのかな…仮に3-3が成功していたとしても全く印象に残らないですね。

彼女の美しさを全面に押し出すプログラムではなかったような。

スパイラルもショートのような衝撃を感じませんでした。

ファンスパイラルは今大会誰もやっていなかったので差をつけるために取り入れたのでしょうけど、身体能力の高さを見せつけただけで美しさを感じませんでした。

同じ失敗はしたけど、4年後のトリノ五輪フリーのロミジュリの方が良かったようにすら思えます。

ただ、シニア初の国際大会がいきなりオリンピック、しかもメダルの期待をかけられて重圧は半端じゃなかったと思いますが、よくこれだけの演技をしたなと感心します。

当時16歳。

2002年グランプリファイナル初優勝、2004・2005年世界選手権で2位、2006年世界選手権は3位。

これまでクワンより成績がずっと下でしたが、新採点方式が採用された2005年世界選手権で初めてクワンを上回り、ここで立場逆転となりました。

2006年全米選手権初優勝、トリノ五輪銀メダル。

2010年バンクーバー五輪代表選考会となった全米選手権は4位となり代表落選。

その後は、31歳でコロンビア大学を卒業後、モルガン・スタンレーで働いており、現在は2児の母。


ミシェル・クワン(アメリカ・銅メダル)

シェラザードより

序盤の3Tで回転不足&両足になってしまい、3-3をやめて3-2へ。中盤のフリップで回転不足のお手つき(転倒扱いだろうか)。

4年前同様、シーズン中に怪我を抱えてしまい、ある種追い詰められた状態での演技でした。

シーズン序盤は3Lz+3Loに挑戦したりしていたのですが…

まぁそんな上手くいかないですよね。

選手全体でプレゼンテーションが一番なのは納得。

個人的には物足りないプログラムですが、彼女の温かみと深みがある滑りを活かすべく、いくつか見せ場を作ったプログラムでした。

クリーンな演技をしたにも関わらずリピンスキーに敗れた4年前のことや、ショートプログラムで技術点が自分が思っていた点数よりも低く評価されていたことで不安に思っていたこと、ヒューズが一世一代の好演技をしたことで自信が揺らいでしまったのでしょう。

クリーンに、いつも通り自信に満ち溢れた演技をすれば、たとえ3-3がなかったとしても金メダルだったと思うんですけどね…。

怪我で滑り込みが足りていなかったと思われ、その点も不安材料だったのかもしれません。

当時21歳。

直後の世界選手権は銀メダル。

その後現役引退が囁かれていましたが、そんな噂を吹き飛ばすかの如く、翌年2003年全米選手権ではシーズン2度目の試合にも関わらず貫禄の優勝、同年世界選手権でも優勝し、完全復活を遂げました。

翌2004年世界選手権は変質者が演技前にリンクに乱入するというアクシデントに見舞われますが素晴らしい集中力を見せて、プレゼンテーションで6.0を叩き出す好演技を見せて3位。

この気迫があれば、ソルトレイクシティ五輪金メダルだったんだけども…。

2006年トリノ五輪選考会の全米選手権は欠場したのですが、特例措置で非公開のテストスケートに合格して代表に選ばれます。

…が、試合前に「怪我が治らず棄権」との記者会見を開き、急遽代表に選出されたのが何の因果かサラ・ヒューズの妹、エミリー・ヒューズでした。

どうもアメリカテレビ局との契約で開会式までは頑張れ、ということだったみたいですね。

この後は試合に出ておらず、結果的に2005年世界選手権(4位)が現役最後の試合となりました。

ともあれ、五輪2大会連続のメダリスト(長野銀、ソルトレイクシティ銅)、世界選手権は5回優勝を含むトータル表彰台9回、全米選手権は9回優勝を含むトータル表彰台12回というのは、今後アメリカ代表選手から出てくるのは難しく、正にフィギュアスケート殿堂入り(2012年)に相応しい、大スター選手でした。

2013年に政府関係者と結婚したものの2017年に離婚。2022年に精子提供(でいいのかな)で女児を出産。現在は駐ベリーズ大使。


イリーナ・スルツカヤ(ロシア・銀メダル)

トスカより

中盤のフリップでお手つき。

うーん、3-3を入れない安全運転が完全に裏目に出ましたね。緊張のあまりスピードが抑えめになり、恐々滑っているのが伝わってきてしまい、彼女の特徴である圧や迫力のあるスケーティングがなりを潜めてしまいました。

クワンのようにディープエッジのスケーティングなら3-3無しでクリーンに滑れば金メダルだったかも知れませんが、スルツカヤの場合はフラットエッジ気味なスケーティングなので、3-3無し、スピードも抑えめとなると、ジャンプ・スピンの質がいくら高くても迫力不足に見えてしまい、印象に残らないし、評価しづらかったのではないでしょうか。

平常心を保つというのは本当に難しい。

キスクラでは笑顔でしたが、舞台裏で泣きながら採点に対して不満を述べていたらしく、コーチが後ろから優しく宥めていたいた一方でロビン・ワグナーが派手に喜んでいた対比を見てしまうと、切なさが込み上げてきてしまいました。

当時23歳。

この直後の世界選手権では悔しさを晴らす演技で見事優勝。

2003年は母親の看病と自身の病気で試合を辞退したり思うような演技ができませんでしたが、2004年からは完全復活し、2005年世界選手権では圧倒的な強さで優勝を飾ります。

同年グランプリファイナルでは当時15歳だった浅田真央に敗れるという波乱がありましたが、それをものともせず、翌2006年ユーロ選手権で圧勝。

優勝候補筆頭としてトリノ五輪に乗り込みますが、4年前同様、最終滑走で迎えたフリーでコンビネーションジャンプが単独になったり、単独ジャンプが2回転、ループジャンプで転倒という普段の彼女からしたらあり得ないミスを連発してしまい、銅メダル。

その後、試合に出場することはありませんでした。

ともあれ、五輪2大会連続メダリスト、世界選手権優勝2回、ユーロ選手権優勝7回、グランプリファイナル優勝4回と、ロシア女子シングル選手史上最高の成績を残しました。

現在は、プロスケーター、解説をこなしながら2児の母でもあります。