いよいよ決着。
クリスティ・ヤマグチ(アメリカ・金メダル)
曲はマラゲーニャ。
一言で言うと、プログラムの勝利。
現代でもアレンジを加えれば使用できそうなプログラム。
この時代にしては繋ぎも多めだし、技のパーツをわかりやすく見せているので、点数が出しやすい。
もちろん、これはヤマグチに力が無いとできないわけで。
ジャンプ、スケーティングそれぞれ単体で見れば、彼女より質が高い選手は下位選手にもいるのですが、下位選手が高難度ジャンプやステップ・スパイラルを全て揃えられるかと問われると、それは無理。
ループは尻もち、サルコウはダブルになっても芸術点が下がらなかったことがそれを物語っています。
素材そのものは、安価な食べ物でも調理の仕方によっては、絶品料理になる。
そんな感じでしょうか。
当時20歳。
この直後に行われた世界選手権で優勝を飾り(2連覇)引退、その後プロスケーターに転向。
ナンシー・ケリガン(アメリカ・銅メダル)
曲は7月4日に生まれて。
スケートの質そのものはヤマグチより上だと思う。2人のスパイラルを比較すれば一目瞭然。
ただジャンプが安定しないし、何より振付が悪いのかなんなのか、とにかく見せ方が下手だなぁと笑。
OPのパラダイスは素晴らしかったんだけど。
キスクラでは半泣き状態に。
当時22歳。
この直後の世界選手権では銀メダル、翌年1993年世界選手権ではテクニカルで首位に立ったもののフリーで大遭難して5位。
リレハンメル五輪選考会を兼ねた全米選手権を前にハーディングの元夫に襲われて怪我をして棄権したものの、代表に選ばれて銀メダル獲得。
メダル贈呈式や五輪後のパレードで失言(笑)しまくりますが、引退後はプロスケーターへ転向しました。
スルヤ・ボナリー(フランス・総合5位)
曲はエスパニアカニーニ他。
4Tを回転不足で着氷するも、観客はわかっていないので、フツーに拍手が送られただけという笑。
他のジャンプは回転不足、両足、転倒のオンパレード。そして何より質が悪い。
ジャンプの失敗よりも、エッジが常に直立状態なのが気になってしまい、あまりプログラムが頭に入って来ず笑。
前年のNHK杯で五十嵐文男さんからジャンプを飛ぶ前のダメが長すぎるだかスピードが落ちすぎとか何とか苦言を呈されていたような。
技術点が5点代の前半だったことに場内からブーイングが起こりましたが、むしろ逆に高いように感じられ、温情採点にすら思ってしまいました(笑)。
当時18歳。
1993〜1995年世界選手権で連続銀メダル。
ユーロ選手権では5連覇達成。五輪はリレハンメル・長野と3大会連続出場を果たしています。
94年世界選手権で結果が不服だと抗議して中々表彰台に上がろうとしなかったり長野五輪フリーでバックフリップをやってしまうなど、お騒がせな一面もありました。長野五輪後に引退。プロスケーターに転向。
トーニャ・ハーディング(アメリカ・総合4位)
曲はロビン・フット他。
トリプルアクセルは転倒、ルッツは両足になったものの、ミスを最小限に抑えた。
スケーティングは悪くないし、スピードもあるのだけど、ただ走って跳んでだけのプログラムに。
そもそも音楽的な素養がなさそうなタイプなので音を拾うプログラムを作ってあげたところでおそらくこなせなかったでしょうけど。
…3Aが仮に成功していたとしても、ケリガンを上回れなかったかも知れません。
当時21歳。
2年後のリレハンメル五輪にも出場。
直前の全米選手権前に元夫がライバルのナンシー・ケリガンを襲うという前代未聞の事件を起こします。(ハーディングは優勝)。
しかし、事件が発覚しても代表の座から退くことはなく、五輪出場を果たしますが、そこでも靴紐騒動を起こして周囲を振り回していました。
アメリカスケ連やオリンピック委員会からは追放され、その後はイロモノタレントのような状態に。
伊藤みどり(日本・銀メダル)
曲はラフマニノフのピアノ協奏曲。
…やっぱり初志貫徹が大事、というのがありありとわかります。
シーズン中に音源をチマチマ変えて構成をいじったりしたのはいけませんでしたね。
当時、冬季五輪日本選手団で金メダルが取れそうな女子選手はみどりさんくらいしかいなかったので、国内の期待が大きく、それに応えようとしたりヤマグチを意識しすぎたのでしょうけど。
始めのトリプルアクセルを失敗して、後半にもう一回チャレンジして見事成功。
ここから明らかに滑りが変わって、ようやく本来の伊藤みどりが戻ってきました。
ヤマグチを意識して五輪シーズンに重たいラフマニノフをぶつけて表現力を上げようしたけど、はっきり言ってそもそも全然合っていなかった。
カルガリーから4年間、色々なジャンルに挑戦したのはいいけど、五輪シーズンは本人のキャラクターに合った明るいものにして、ステップの多様さだったり、スケーティング技術の迫力・質の高さを全面に出したプログラムした方が良かったように思います。
表現力という言葉に惑わされすぎたのかもしれません。
イギリスジャッジの点数が低めだったのは本人に合わないプログラムを滑らせてしまったのもあったのかも。
有香さんの技術は高く評価していたのだから、そのあたりにヒントは隠されていたのですけどね。
ジャンプ以外に評価を高める方法は表現力だとシフトしたのが間違いだったようにも。
しかしながらアジア勢初の世界女王、女子選手で初めて五輪でトリプルアクセルの成功、なおかつフィギュアスケート史上アジア勢初五輪メダリストとなり、正に偉大すぎる伝説の選手でした。
当時22歳。
アルベールビル五輪後に引退。1995-96シーズンに一旦現役復帰しますが、96年全日本選手権(当時は1月開催でした)でトリプルアクセルを成功させて世界選手権に乗り込みますが、本番では決まらず、他のジャンプでもミスを連発してしまい、結果は7位となり、再び引退。
プロスケーター、解説として活躍しています。
レティシア・ユベール(フランス・総合12位)
曲は天国への階段、ボヘミアンラプソディー。
実は、改めて見ると最終グループで印象に残ったのは彼女なんです。
そりゃ緊張しすぎてジャンプを転倒しまくるわ、スパイラル失敗するわ、なんでもないところで転倒するわで、正直トラウマレベルの演技でしたけど。
ただ、よく見ると最終グループに残っただけあってスケーティングが綺麗だし、ジャンプの軸も細くて決まれば質の高いもの。
冒頭のトリプルループが決まっていれば、ここまでボロボロにならなかったかもしれない。
シニア初の五輪で最終滑走となればそりゃ緊張するなというのが無理な話。
途中、気持ちが切れかけた部分もありましたが、最後までスピードを落とさないで滑り切って、キスクラでも泣かなかったのは偉いと素直に思いました。
当時17歳。
この直後の世界選手権では五輪の悔しさを晴らす4位。
この後、リレハンメル、長野、ソルトレイクシティと実に五輪4大会連続出場と、非常に息の長い活躍を見せてくれました。
五輪での成績はイマイチでしたけど、世界選手権ではほぼ入賞していたかと思います。
2002年に引退。現在はテクニカル審査員、コーチとして活動しています。