第二グループからは実力者も登場。


パトリシア・ネスケ(ドイツ・総合13位)

曲はミスサイゴン。

直前のユーロ選手権では3位。その他複数の大会でも表彰台に登っていた。

さすが実力者らしく、第一グループの選手達とは明らかに滑りが違っていた。

彼女をはじめ、この時代の選手達のジャンプってとても高くて気持ちいい。

今はコンパクトに高さを抑えて回転をまとめることで多回転に対応していくことが主流だが、まだこの時代はきっちり高く飛び上がって回転を始める、というのをちゃんと守っている選手が複数いたわけで。

彼女もその一人。

だから、あまりジャンプの難易度が上げられなかったんだろうと思われる。

…ところでこれはミスサイゴンと言えるのだろうか笑。

前年のNHK杯で五十嵐文男さんからも「プログラムのメリハリがない」と苦言を呈されていたような。

技術点は致命的な失敗はしなかったので5.0〜5.3くらい。

だが、芸術点にも5点台とは…。4点にされても文句は言えなさそうな。

ユーロメダリスト優遇点だったんだろうか笑。

当時25歳。


マリナ・キールマン(ドイツ・総合10位)

曲はマンボ?あとは全く関係なさそうな曲の繋ぎ合わせのプログラム笑。

OP15位から怒涛の追い上げ。

5種類の3回転ジャンプを揃えました。

また、終盤の2Aからの6連続ジャンプで会場を盛り上げました。今のルールではお目にかかれないので、これはかなりレアなお宝映像。

…が、よく見るとフリップはリップ、全体的に回転不足のジャンプ。

全体的に脈絡がないし、エッジを魅せる構成でもなければ繋ぎも甘いので、芸術点が下げられてもしょうがない。

振付師を変えたり、技術コーチをしっかり付けていればワールドで台乗り出来ていたかもしれない。

身体能力は高いのに、色々惜しい選手でした。

リレハンメル五輪はカタリナ・ビットに邪魔されて笑、出場はなりませんでしたが、直後の94年世界選手権でその悔しさを晴らす演技で自己最高の4位。

ドイツ連盟は、選択を誤ったと後悔したかも知れません笑。

当時23歳。

95年に引退後はプロスケーター→コーチになっている模様。


タチアナ・ラチコワ(旧ソビエト合同チーム・総合16位)

曲は007よりサンダーボール作戦。

直前のユーロ選手権では散々な出来だったのが、コーチがミーシン先生に変わった(?)おかげなのか、ジャンプはアクセル以外比較的安定していた。

身体能力は高いようで、序盤で180度開脚をして氷の上に座るパフォーマンスを見せた。

スピードもあるし、スケートもまぁ綺麗な方。

だけど、プログラムがまぁ超絶ダサい笑。

振付師に恵まれればもうちょっと上に行けたのかも。

当時19歳。

1994年に引退しています。


ジョアン・コンウェイ(イギリス・総合18位)

曲はロミジュリ他。

前年の世界選手権で7位に入った選手。

フリップを得意としていたようですが、結局決まらず。

…何をアピールしたいのかわからないし、どうもぼんやりとしたプログラム。

これでトリプルジャンプがボロボロとなると、そりゃ技術点も芸術点も下がりますよね。

ジャンプの軸が定まらないようでした。

プログラムがもう少しメリハリのあるものであれば芸術点もさほど下がらずに済んだのかも。

当時20歳。

この後の世界選手権を最後に引退。


ユリア・ボロビエワ(旧ソビエト合同チーム・総合14位)

ロシア民謡と思われる曲。

ルッツを除く4種類のトリプルジャンプを跳びました。

基礎はしっかりしている選手ですが、走って跳んでいるだけという印象を与えてしまい、5点台の後半には及ばないプログラム。

ソビエトは、女子以外は強いんですけどね…なんで女子はこんなにも地味なのか笑。

スルツカヤ・ブチルスカヤ達が育つまで、ソビエト…いやロシア女子は浮上するのにかなり時間がかかりました。

当時17歳。

この後ロシア所属→アゼルバイジャン所属となり、96年世界選手権は自己最高の9位、96年NHK杯は3位表彰台。

長野五輪にも出場、2001年に引退と息の長い選手生活でした。

スピンの速さが素晴らしかった選手。


ヴィクトリア・ディミトロワ(ブルガリア・総合17位)

曲は民謡っぽいもの。

ジャンプはまぁそこそこ決める。致命的な失敗はなかったものの、なぜか中国ジャッジが厳しかった笑。

芸術点が下がった理由は、ただ走って跳んでというのとカーブを多用した滑りをしていなかったから…だろうか。

イギリスのコンウェイのような、いまいち何がしたいのかわからないプログラムに見えた。

当時15歳。

1994年に18歳の若さで亡くなっています。かなりの衝撃。

ロシア語サイトに亡くなった理由の推測が載っていましたが、死因はどうやら心臓発作?的なようなものだったようで、ドー○ングの影響では…と記載されていました。

コーチがロシア人?だったらしい(本当かどうかはわからないが)。

彼女の家族は、「生前、娘に心臓疾患はなく、極めて健康体。発作なんて有り得ない」と談話を発表していたようです。

このサイトでは、ブルガリア国内に彼女のライバルになるような選手はいなかったはずで、なぜドー○ングをする必要があったのか、と疑問を呈していました。