ザギトワ活動休止、紀平に衝撃 「すごく驚いた」


何だか…。
結局コーチと採点によってある意味振り回されたようにも見えます。

本当の意味でのスケーティングスキルは、彼女はおそらく良くて8点台中盤の選手でした。

平昌五輪で後半にジャンプを固め打ちしたことと、複雑なつなぎを評価したのか知りませんが、ジャッジが全て9点台にしてしまった事でかえって彼女の引退時期を早めてしまった。

そりゃ、スケートが滑らなくても9点台が出るならどこに焦点を絞って練習していいかわからないですよね。

昨シーズンのワールドは日本人選手が揃いも揃って自滅してくれたこともあり、優勝できた。

そこに、今シーズンからシニアに上がってきたジュニア選手に抜かされてしまった(もっともこれは彼女自身も予想はしていたでしょうが)。

おそらく、競争相手がトゥルソワとシェルバコワの2人だけだったら仮に負けていても競技は続けていたのではないでしょうか。

彼女が引退を決めたのはコストルナヤの存在でしょう。

演技スタイルは、ほぼ丸かぶりだしそこに自分よりスケーティングも上手い、尚且つ3A持ちともなれば、そりゃ嫌になりますわな。

オリンピック後に辞めたがっていたザギトワをエテリがすんなり辞めさせなかったのは「やっぱり子供にしか指導できない」というレッテルを貼られるのを何よりも恐れたからでしょう。

…現状、ジャンプの採点は基礎点+GOEですが…。

このGOEの基準は、多少ジャンプがイビツ(フルブレード、プレロテジャンプ)でも、複雑な繋ぎさえ入れてしまえばGOEでプラス評価になってしまうため、「質」の部分があまり評価されないシステムではないかと思います。

例えば、昨シーズンのジュニア女子で、川畑さんの3Lzとトゥルソワ・シェルバコワ・コストルナヤの3Lzがほぼ同評価というのは…私は何だか納得いきません。

新採点が導入されて、今年で16年くらい経ちます。

が、年々細分化していく採点にジャッジが追いつかない。

競技を衰退化させない為にも、基礎に忠実な技術を評価するシステムを作り上げないと、おそらく10代半ばでリンクを去る選手は後を絶たないのではないでしょうか。

<1990年代以降の五輪金メダリストの進路>

1992年…クリスティ・ヤマグチ(当時21歳)。五輪後ワールドで2度目の優勝を飾って引退。元々はペアの選手。シングルと掛け持ちしていた時期もありました。ルッツ・フリップが大得意という当時としては珍しい選手。また、当時からすでに難度の高い3ルッツ-3トゥを五輪シーズンより駆使し始めて、五輪フリーでは2ミスにも関わらず、それでも金メダルを取れたのはライバル伊藤みどりの失敗の他、このコンビネーションの威力も大きかったと思います。
この選手は小柄だし、ジャンプは低いのですがスピード感あふれるスケーティングとジャンプの回転の速さ、また繋ぎも当時としては高度なものを駆使していました。引退して子供を産んでも体型が変わりませんでしたので、もしかしたらリレハンメル五輪も連覇できていたのでは?

1994年…オクサナ・バイウル(当時16歳)。五輪後に引退。孤児だったため、コーチが練習資金を出してくれていた事もあり、自立のためにプロ転向という話もありました。
五輪ではショートのルッツは2フットだし、フリーもコンビネーションは確か1回だけ、しかもケリガンみたいに3-3を跳んだわけでもなかったし、スケーティングもケリガンと比べると粗さがあったのに何故か金メダル。
未だに謎な採点ではあります。


1998年…タラ・リピンスキー(当時15歳)。五輪後に引退。当時最高難度とも言われていた3Lo+3Loを駆使して、ワールド・五輪金メダルでした。ただ、プロに転向したものの、観客の嗜好に合わなかったこと、現役時はフルッツ持ち、また小さい体故のジャンプの飛び方(体を結構捩って跳んでました)をしていたために、体が成長期を迎えた途端、従来のジャンプの跳び方では対応しきれなくなり、怪我が絶えなくなりプロからも姿を消します。
…スケーティングは結構しっかりしていたし、ジャンプ後の流れも素晴らしいですけど…。もう少し高さを出す練習をしておけば、もっとスケート寿命は伸びていたのでは?

2002年…サラ・ヒューズ(当時16歳)。
ワールドでは、2001年銅メダルが最高成績。五輪では3S+3Lo、3T+3Loのコンビネーションを用いていました。そこにクワン・スルツカヤ・コーエンの自滅があったため、金メダルが転がり込んできました。
元々、フルッツ持ちだし2nd3Loは回転不足が指摘されていた選手でしたが、五輪では何故かお咎めなしという謎採点。
姿勢はピンとしていたし、フリーレッグも綺麗だったんですが…肝心のスケーティングはイマイチ。
2003年ワールドに出ていましたが、影がめちゃくちゃ薄かった。2003年ワールド後に競技生活から遠ざかってしまいました。

2006年…荒川静香(当時24歳)
98年の長野五輪に出場して13位。ソルトレークは代表を逃したものの、8年振りに代表に返り咲きました。
コーエン・スルツカヤが自滅したから棚ぼた金メダルと悪口を言う人もいましたが、そんなことは無かったと思います。
SP終了時で、PCSは2人と遜色ない点数でしたし、ジャンプは3-3こそ無かったもののショート・フリー通じてレベルはステップを除いて全てレベル4。これは出場した選手の中では彼女だけでした。
元々は3-3ジャンプが得意でしたが、リップ持ちだし、回転不足気味な選手でもありました。
新採点になって初めての五輪、絶対評価の下では3-3の回転不足は致命的、ジャンプ偏重ではなく各要素のレベルを揃えて尚且つ本人の持つスケールが大きく美しいスケーティングを活かす事が金メダルを取るには必要と当時のコーチのモロゾフの戦略が見事に噛み合いました。五輪後に引退し、現在はプロスケーター兼日本スケート連盟の副会長です。

2010年…キム・ヨナ (当時19歳)。
2014年五輪で銀メダルを獲得して引退。
正に新採点の申し子という名にふさわしい選手。シニアデビュー時は、線が細く、またプログラム後半ではいつもバテバテでしたが、4年かけて体力づくりに励み、ジュニア時代から注目を集めていた助走スピードを殺さずにジャンプに突っ込むスタイルにシニアに上がってからさらに磨きをかけ、またスピード感溢れるスケーティングもシニアに上がってからグレートアップさせました。
その結果、全ての要素に加点を得られるようになり、それが金メダルに繋がりました。
3-3を駆使・レベルも落とさない・そして質を高める(=GOE加点を得る)という今では当たり前になった大原則を作り上げた選手です。
現在は、国内でアイスショーを主催したりタレント活動中のようです。

2014年…アデリナ・ソトニコワ(当時17歳)。
キム・ヨナが作り上げたモデルを基本そのまま踏襲したスタイルで金メダルを獲得。
スケーティングこそ銀メダルのヨナや銅メダルのコストナーには劣りましたが、金メダルを取れた最大の要因は苦手のループを外して3-3コンビが1つ、スピンの難度が思うように上げられなかったヨナに対して、ソトニコワはループが入っていたこと、それにより2nd3Tが2つ入ったこと、そしてスピンのバリエーションがヨナよりも豊富だったことで基礎点を上積みできたことでした。また、メダル候補と目されていた浅田真央がSPの時点でメダル圏外になったという追い風が吹いたこと、また団体戦でリプニツカヤがSPFS両方出場した事により、消耗していたせいで個人戦で精彩を欠いた演技をしたことで彼女もメダル圏外になったこともまた、ソトニコワに追い風が吹くことになります。
五輪シーズン後のGPシリーズに出場しましたが、体が大きくなってしまった事でジャンプに精彩を欠くようになり、一時期プルシェンコの元で練習していた時期もあったようですが…かれこれ4年以上試合に出ていない状態です。