伊藤みどりの出現は、世界中を驚かせた。
80年代当時、トリプルジャンプは女子選手内では平均で2種類程度だった。
だが、伊藤は男子選手をも凌駕するスピード、高さ、幅を兼ね備えたジャンプで、トリプルジャンプを5種類ポンポンと揃えてきたのだ。

あのビットでも、トゥやサルコーは常時跳んではいたが、調子が良ければたまにループを入れる(かなり危なっかしいものとお見受けしましたが)という状態だったのたがら、伊藤がいかに凄かったのか、良くわかる。

…ちなみに、ビットは2ndトリプルジャンパーでもありましたよね。サラエボ五輪フリーでは(それ以前の試合でも取り入れているが)2Lz-3Tを披露しています。あまりの質の良さに実況のおじさんが3-3と間違えたくらいでした。

…話が逸れてしまったが、これまで日本人、いやアジア人がフィギュアで世界の頂点に登るなんて夢のまた夢と思われていたのが、伊藤の登場で現実的なものになった。

カルガリー五輪では、コンパルで遅れを取ったものの、フリーでトリプルジャンプ5種を成功させて最終的に5位入賞、翌シーズンのNHK杯で女子の国際公式試合史上初のトリプルアクセル成功、そして89年の世界選手権でコンパルが上手く行ったのも幸いし、フリーではトリプルアクセルを含むジャンプを次々と成功させて遂に悲願の世界女王に輝く。


たが、意外にも世界女王になったのは89年の一度きり。
後年、コンパルが廃止されて伊藤有利になるかと思われたが、廃止後に世界女王になることは遂に叶わなかった。

この背景には、周囲からのプレッシャーに苦しんだり、コンパル廃止後に運悪く怪我や手術等が重なり、中々試合では結果が出なかったというのもあったんだろう。

特にコンパルが廃止になるまでは、コンパルが苦手=エッジ使いが拙いという審判団の認識を覆す事が中々出来ず、ショートやフリーのプレゼンテーションが伸び悩んでしまったことで、「芸術点が低い」という印象を生み出してしまった。

技術点が高すぎたが故に、芸術点が低く見えたのでは、という説もあるが。
カルガリー五輪後は、芸術点でも満点をたたき出している場面もある。


伊藤の現役当時のマスコミの報道の仕方は、実際の競技内容とは大分掛け離れたものであった。

私が覚えている限り、大体以下のような感じだったと思う。


○ 日本人が活躍するのを嫌う風潮があるから点(プレゼンテーション)が伸びない。

○ 欧米の選手に比べて顔が大きいし、手足も短いし、体も硬めで優雅さがないから芸術性がないと見なされてプレゼンテーションが伸びない。


…随分な言い草だが、特に二つ目なんか酷い。
西洋人と仕事をしたことがあるという方からすると、容姿云々というのは日本人が思い詰めているほど、向こうは気にしていないという。
体が硬めというが、みどりさんはY字スピンも披露していたし、レイバック姿勢も他の選手と比べても大して差はなかったように思う。
しかもレイバックは誰よりも早かったし。
体の軟体度という点では他の選手と殆ど変わらなかったのではないか。
それに、スケーティング自体は、後のアルベールビル五輪金のクリスティより、個人的にみどりさんの方が上のように思えた。

…とにもかくにも、こうしたマスコミの妙ちきりんな報道により「伊藤は芸術性がない」、「芸術性がないかわりに、欧米勢に打ち勝てるのは一撃必殺のトリプルアクセルだ」

…と一般大衆に刷り込まれて行くのである。

(続く)。