昨日、ネットサーフィンをしていたら辻ちゃん(元モー娘。)の愛娘の入園式ファッション画像(辻ちゃん自身のやつ)を、見つけた。
…というか結構ネット上では話題になっていたらしいが。


最初に見た時に、どこのパーティーにいくのかと思ったくらい、なかなか眩しいお姿であった。

白いジャケット、白いミニスカ(もしくはショートパンツ??)、白タイツに白い靴下、白い靴…。
とても前向きな解釈をすれば、おめでたい気持ちと、春が来たという喜びを表現したかったんだろうか。
…逆に嫌な言い方をすれば、若さをアピール、とにかく可愛ければそれでいい、主役の娘はどこ行った??というKYなファッションといったところか。

…まぁ、主婦層が見たら逆上しそうな、叩かれてもしょうがない要素満載の服装であった。


私自身、入園式の記憶はないのだが、卒園式の記憶はうっすら残っている。
…卒園式の朝、私の母はいつも通りジーンズ姿で私を幼稚園バスに乗せて見送った。
私はバスに揺られて、幼稚園に着いて、友達といつも通りはしゃいでいた。今日は卒園式なんだ、という実感はほとんどなかった。

…だが、卒園式が始まり会場に入場して、保護者席を見渡すと、紺、グレー、黒といったスーツ、あるいは着物を召したご婦人の方々が厳かな雰囲気を醸し出していた。
その中には紺色のスーツを着た母もいて、私と目が合うとにっこりと笑って手を振っていた。

その時はじめて、「あ、今日で最後なんだ、静かに行儀よくしなきゃ」と感じた。

その感覚は入学式、卒業式になっても変わらなかった。

特に小学校の卒業式の時なんかは、前日まで卒業するという実感はわかなかったが、当日、クラスメート全員がジャケットにチェックのプリーツスカート、あるいは卸し立てのズボン、そして真新しいローファーを履いているのを見、そして先生達もスーツや袴という格好を見て、やっと気持ちが締まったくらいだった。
私もジャケットにプリーツスカート、ローファーという定番の格好をした自分を鏡で確認しているにも関わらず、やはり他人のフォーマルの格好を見るというのは、こんなにも気持ちが変わるんだなと、子供ながらに感じたことを思い出す。

二つのエピソードのいずれも、卒園・卒業ネタだが、これは入園・入学式でも大して変わらないだろう。

子供って、…特に幼児期の子供は大人が思っている以上に、知識があるし、シビアに物事を考えるし、感受性もものすごく強い。

べつに私は辻ちゃんを批判するつもりはないが、…というか叩くほど彼女に関心があるわけでもないというのもあるが、やはり人生の節目の服装って、おめでたいからと自分の気持ちを自由に表現するようなものだけじゃだめなんだなぁと改めて思う。

辻ちゃんの愛娘はこれからも、人生の節目節目で母親の服装を見る機会があるわけだが…。

この先、娘は何を思いながら成長していくのだろうか。