描かれるものは? | 余白やの余談

描かれるものは?

数日前から絵のようなものを描いて遊んでいます。

 ひところ、というのは15年ほど前ですが、ちょっと絵の勉強をする気になって知人の画家に相談したところ「とりあえずデッサンやったら」ということだったので、人体デッサンを週に1回弱、3年ほどやりました。1年経ったら、ほとんど惰性でしたが(デッサンについては、何か考えるところもいくつかあったのですが)。その後何かが描けたのかというと、ダメでした。イタズラ描きは少しやりましたが、所詮イタズラです。

 さて、コロナ下の自宅掃除で、その頃買った画材がたくさん発掘されたのです。油彩、水彩、アクリル、木炭、鉛筆、水彩用紙、キャンバスetc. それで、突然何か描きたくなって、しかし描きたいのは「何か」であって、「何を」がわからない…。で、たまたま聴いていたアナログ盤(40年ぶりに聴くグレート・ソサエティ)のジャケットの写真を油彩で描いてみました。グレイス・スリックです。この頃(というのは1966年頃)、グレイスはまだ20代だったはず。約3時間で筆を置きましたが、自己評価としては100点満点のせいぜい60点といったところ。しかし、思いのほか面白かったのです。ただ写真を見ながら描いた小さなもの(F3)でしたが、もう少し表現的な要素を加えていったらどうなるのでしょうか? 

 現今のコロナ禍の中で、多くの表現者(に限らないが)が辛い日々を過ごしています。誠実な表現者が今、どんなことを感じ、考えているのか、気になります。