9月の炎天下、品川宿を歩いた | 余白やの余談

9月の炎天下、品川宿を歩いた

所用で横浜へ。品川まで足を伸ばして、知人のブログ(http://d.hatena.ne.jp/misaki-taku/)で知った津田直の写真展Storm Last Night/Earth Rain House  CANNON GALLERY S)を見る。アイルランド、スコットランドの海の近くや島嶼部で撮影された風景。ケルトの文化や遺物には静かな能弁を感じるのだが(ヨーロッパの端っこの風景には、撮影欲望を強く喚起する事物がたくさんありそうだ)、この30代半ばの写真家の写真はケルトの何かに触発されて、その先に在る別の何かを探究する(というのは必ずしも津田直に固有の姿勢というわけではない)行為の報告であるように思えた。津田直の写真に自分が感じた個性は、そこに彼の行為の痕跡がかなり濃厚に写っていることに由来するのだろう。一見静謐に見える風景が、饒舌に見える瞬間があるのだった。
 巨大なオフィスビル街の一画にあるギャラリーを出るとちょうど昼休み時で、近所の公園にはお弁当を食べる若い会社員男女の姿が。ずいぶん多い。みんな一人で食べている。きっと勤務時間中はPCに向かっての仕事なのだろうなぁ。なんだかスゴい、と意味不明の感慨にふけりつつ旧東海道品川宿を京急青物横丁駅まで歩く。物好き。疲れた。

 同じ知人のブログに大西順子への言及があって、しばらく前に彼女がジャズ・ピアニストとしての演奏活動を止めたという新聞記事を見たことを思い出した。何故新聞なのか、それも日経。しばしば芸能人の結婚・離婚・出産までもが一般新聞社会面の記事になっているが、こういう傾向はいつ頃から始まったのか。大西順子の一件にしても(おそらく所属レコード会社あたりからのニュース・リリースによるのだろうが)、それは新聞が報じるべきことなのか。もっといろいろあるでしょうが、自治体が行っている「除染」の実態とか。一般庶民が知りたいことはたくさんあるのだ。

 ところで大西順子の「引退」について。もう10年近く前になるだろうか、一時的引退からの復帰直後の彼女の演奏を聴いた時(新宿を歩いていて、当時靖国通り沿い地下にあった第3次DUGの看板に引退したはずの大西順子の名前を発見して入店したのだった)、ピアノがとてもよく鳴るピアニストであることにあらためて感心し、演奏中の姿勢の美しさにも打たれた記憶がある。その少し前に、同じDUGのアップライト・ピアノを3人の女性ピアニストが弾くセッションを聴く機会があって、その中の一人で現在も活躍中のピアニスト(特に名を秘す)の音が、他の二人(3人ともバークリー帰り)を数段上回る響きなので驚いたことがあったのだが、大西順子はそれをさらに凌駕する音でDUGのピアノを鳴らす人であった。中低音域の音が多いから、でもないだろう、多分大西順子はピアノを叙情的にではなく構築的に弾こうとする演奏家だから、であると思う。聴き手としてはそれで十分でもあったのだけれど、大西さんにとってはそうではなかったのだ。