日本のメディアでは相変わらず新型コロナ禍のニュースが
大きく扱われてますけれど、海外メディアの多くでは、
米国のミネソタ州で起きたジョージ=フロイド事件や
それに端を発する反人種差別運動が常にトップです。
 
公共1_2020.06.10
 
ある老齢の黒人女性がインタビューで
「もう、こんな葬式は、たくさんだ!」
と、うんざりしたように語るのが印象的でした。
 
葬儀の翌日には、ジョージ=フロイド氏の遺族(兄弟)が
議会下院の公聴会に、他の有識者らと共に呼ばれ、
今回の事件について証言をしていました。
 
公共3_2020.06.11
 
こうしたスピード感は、さすがアメリカだなと感じますし、
その背後には、この種の問題に普段から地道に取り組む人たちがいて、
事件が起きたとき即座に対応する分厚い層の存在もあるのだと思います。
 
人種差別は、差別を禁じる基本的人権や、平等を保障する権利に関わる問題なので、
厳密に言えば、法的な問題であり、司法で扱われるべき事柄であると思いますが、
そうした法的運用が不十分であったり、法執行を司る警察自体に問題があると、
今回起きた事件や、その後のデモのように、すぐに政治問題化していきます。
 
ジョージ=フロイド事件が起きたミネソタ州ミネアポリス市では、
先日、市議会の42歳の女性議長(バリバリの活動家)が
警察部門を解体するとブチ上げたのに対し、
38歳の市長(弁護士)は、解体するのではなく、
まずは内部のカルチャーを変革すべきだと主張し、
問題山積みの市警を巡って早くも論争が巻き起こり、
とてもアメリカらしいなと感じます。
 
公共2_2020.06.10
 
ニューヨーク市では、議会主導の警察改革案に対し、
警官の労働組合が批判の声を上げたりもしてるようで、
世論に対峙するカウンター勢力や当事者が応酬に出てます。

一方的な潮流や大勢、空気感に流されないところも、
わが国とは異なるアメリカらしい面だと言えますかね。
 
日本で生まれ育って、あまり海外へ行かないドメスティックな生活を送ってると、
肌の色で他人を差別するという感覚について、あまりピンとこないと思います。

それはそれで、差別を知らない無垢な心のままでいるという意味で、
決して悪いことではないようにも思われますが、21世紀も更に進むと、
今まで以上に国際的な、そして人種間の交流が頻繁になると思います。
それなのに今のような感覚のままでよいかは、考えておくべきでしょう。

ご承知の方も多いかと思いますが、文科省の学習指導要領が改訂されて、
2018年以降、小・中・高で順次、実施段階に入るスケジュールが進んでいます。
高校の社会科では、現代社会から衣更えした新たな科目 「公共」 を学習します。

「自立した主体として国家・社会の形成に参画し、他者と協働するために」
というような目的が謳われていますので、今問題となっている
人種差別問題にも直接関わる科目であるように思われます。

多感なティーンエイジの時代に、差別とは何であるのか、
差別から何が生じ、なぜ衝突・不幸が生まれてしまうのか、
しっかり学び、周りから敬意を払われる大人になってほしいです。

いい年したオッサンの私ですが、
まだまだ勉強不足で、考えも足らないので、
今後も学び続けていきたいと思っています。
 
 

[上記引用:2020年6月10日 ALJAZEERA、6月10日・11日 CBS ]
 

[ 2020.06.11(木)日刊 ]