その2同様箇条書きでサクサクいきましょうかね。
【液漏れ】
ふと気付けば、点滴の針を刺している付近の腕が腫れていました。
理由はよく分からないものの、ひょっとしたら針を刺すところからやり直さなければならないのではあるまいか。
子供心にそう思い至るも、完全黙秘。
脳内には点滴のトラウマがコールタールのようにべったりと貼り付いていたのです。
そんな時間稼ぎをしているうちに、腫れは酷くなり、痛みは強くなり、それでも我慢していたものの、結局バレてしまいました。
そして再び点滴地獄。
やった人が上手かったのか、心構えができていたからなのか、3回か4回刺されたくらいで無事終了。
しかし右腕に変更となったため、食事その他の生活がとても不便になりました。
【液漏れ2】
次は右腕が腫れてきました。
左腕がパンパンに腫れるまでは2週間くらいかかったのですが、右腕は1週間くらいでパンパン。
それを考えると、刺し直し回数は多かったものの、1度目に点滴をしてくれた人の方が上手だったのかな、と思ってみたり。
映画評論風に言えば、
『しょせん、2は1を越えられない』
ということでしょうか。
【退院の日・昼】
結局、1ヶ月近く入院していました。
朝から準備をして、昼過ぎくらいに家へ到着。
久々の我が家でゴロゴロしていると、クラスメイトのカッちゃんがお母さんと一緒にやってきました。
もう退院が知れ渡っているのか、とびっくりしましたが、話を聞くと、
『今日お見舞いに行ったら、もう退院していた』
とのこと。
退院してからお見舞いを頂く、という稀有な体験をしました。
【退院の日・夕方】
小学校に「退院しました」との一報を入れると、担任の先生が訪ねてきてくれました。
何日か自宅で静養してから復帰する、と伝えると、
『明日は音楽会だから、もし体調が良かったら見に来てね』
とのお言葉。
今にして思えば、明らかにフラグが立った瞬間でした。
【退院の日・夜】
約1ヶ月ぶりの家族揃っての夕食。
準備を済ませ、あとは父の帰宅を待つのみ。
という状況の午後7時。
携帯電話はおろか、ポケベルすら影も形もなかった当時。
ひょっとしたら何日か前から「そろそろ退院」という話はあったのかもしれませんが、父は帰宅した時初めて私の退院を確認したのだと思います。
わざわざ職場の固定電話にまで報せるような内容でもないですし。
『帰宅したら、1ヶ月近く入院していた小1の息子が帰ってきていた』
結構テンションの上がる出来事だと思うんですが。一般的には。
「お父さん、○○(私の名前)が退院してんで!」
そんな母の言葉を受け、私の方を見た父は、にやりと笑いながらこう言いました。
「何や、もう退院してきたんか。あと何日か入院しとったら、保険降りたのに」
( ゜Д゜)
親父殿、まさかこんなところでブラックジョークですかい?
私はいいけど、もっとメンタル的に繊細な子だったら深く傷付いてるところだよ。
というか、その前にスキンシップのひとつくらいあるんじゃねえの普通。
前から薄々気付いてはいたのですが、父は子供あしらいが非常に下手糞だ、と確信した出来事でした。
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次回で最終回です。