69冊目
「クリスマス・テロル」
佐藤友哉
北海道北広島市の中学三年生・小林冬子は、退屈な日常に我慢ができず、学校をさぼってやってきた苫小牧から小さな貨物船にこっそり乗り込んで北海道を飛び出した。
激しい船酔いに耐えながらようやく到着した先は、イメージしていたような都会ではなく、辺鄙な小島だった。
ひょんなことから、小屋の中で暮らしている男を監視する、という仕事をやらされることになった冬子だったが、その男は起きてからずっと無表情でパソコンに向かい、食事の買い出し以外はほとんど外出せずに暮らしていて、監視のし甲斐がない上に、この男が何を考えているのか、パソコンに何を入力しているのか、なぜ外に出ないのか、全く分からない。
そして監視10日目。諸々の疑問に答えが出ないことにも慣れ、男の単調で無味乾燥な生活をただただ作業のように監視していた冬子だったが、わずかに目を離した隙に男の姿が消えてしまう。
扉はひとつしかなく、冬子が監視している側にあるため、見落としは考えられない。しかし居ないのは事実。男はどこに、どうやって消えたのか…。
…………………………
なんてだらだらとあらすじを書きましたが、この作品の重要な所は、小屋の中から男がどうやって消えたか、とか、退屈な日常から脱出した冬子がこれからどうなるか、とか、そういうものではありません。
後半から物語は、否、この作品は、急激に思わぬ方向に転がり始めます。
急激に、と言葉の綾で言いましたが、前半より兆候はありました。
物語の合間に入り込んでくる作者の独白のような文章。
『普通』には終わらないということを暗示するような数々の記述。
そして、物語が終わった後に残された『終章』からが本当の意味で「クリスマス・テロル」が始まります。
作者が仕掛けたテロルが。
文庫版で読んだので、終章の後には解説がありました。しかも、著者本人の書き下ろしです。
そこで、このテロルによって起きたことが書かれています。
勿論、話題に・問題に・非難の的になったのは、2002年に発売されたノベルズ版なんでしょうが、その後の展開等までもが披露された文庫版の方が、ある意味で完全版といえるのではないか、と、当時の騒動を知らない身ではありながら思いました。
「鏡家サーガ」は好きなシリーズなので、このような紆余曲折があって(本編としての作品はないとはいえ)続きが出てるんだな、と若干感慨深いものがありました。
『これから語られるのは、臆病なテロルだ。
暴力での威嚇すらできない、無様で情けないテロルだ。』
なんて本編にて語られていますが、かなり堂々とした戦いっぷりですよ、佐藤さん。