みなさん、こんにちわ!。今朝の人類の大救世主:現人神大塚寛一先生のみ教えのロニ如是我聞は下記でございます。「心の眼」で拝読されてくださいませ。大塚先生は1891年5月3日神国日本の四国阿波(あわ)にご降臨され、1972年に「神の座」にお戻りになられましたが、皆さまの心が神界に佇立される大塚寛一先生に通じますれば、素晴らしい幸福がもたらされると確信しております。下記は如是我聞ですが、大塚先生の教えの多くの原文は国会図書館へいきますと「鶏鳴新聞」(1984-1993)「神霊時報」(1984-2014)という2つの新聞で過去数十年の多くの教え原文を閲覧することができますことも申し添えさせていただきます。



神軍リクルーターロニサランガヤ


ときめきが続く、お花の定期便bloomee(ブルーミー)

 



■日本の伝統を生かせ!現代世相の混乱を救う道は〝知識〟 とともに 〝人格の完成〟 にあり

 青少年の非行化は今や我が国のみならず世界的の問題となり、欧米の先進諸国でもいたく頭を悩ましている。青少年の非行化はいつの時代でも問題となってはいるが、今日ほど絶望的な様相を呈したことはなかったのではないか。我が国でも最近十七、八歳の子女の凶悪犯が急増しており、この現状をみても事態の容易ならぬことに気づかない者はないであろう。しかしその対策はと言えばまことにお粗末なもので、為政者や有識者の間で道徳教育の必要性が叫ばれるのみで有効な具体的施策もほとんど打ち出されていないのが現状である。道徳教育ももちろん結構であるが、今日のように社会のあらゆる分野で累進的な進展によって量的、質的な大変貌を遂げつつある現在、今さら昔流の考えから道徳教育のみに頼ってみても、直ちに問題の解決になるとは考えられない。病根はもっと深いところに隠れているからだ。ここで学校教育をも含めて広く国民教育の在り方がまず考えられる。今日、ラジオ・テレビで時々放送されるものに浄瑠璃(ジョウルリ)がある。これは言うまでもなく明治時代、さらには徳川時代の昔から残っている我が国の古い芸能の一つである。今日では古典芸能として一部の愛好家や、最近では外国人などにも鑑賞されており、一般にはあまり顧みられないが、徳川時代には一般大衆に対する唯一の教育媒体であった。昔から日本に来た多くの外国人を感心させた日本民族の義理堅さと律義さは何によって養われたかと言えば、幕府時代学校教育は今日とは比較にならないほど遅れていたにもかかわらず、大衆は芝居や浄瑠璃を唯一の娯楽として親しみ、七十や八十歳の老婆までも感激の涙を流して聴き入ったものである。その演ぜられる内容は、人情哲学とも言えるほど理にかなった人情あふれるものであり、しかもその中に勧善懲悪の観念がはっきり織り込まれているのである。浄瑠璃によってどんな片田舎にも浸透して多くの国民を教育したもので、これによって忠孝の概念や義理人情の機微が教えられた。かくして外国人までもが感嘆するほどの模範的民族となり得たのであるが、その後明治に入ると西洋の物質科学文明や、さまざまな付帯物を採り入れ、教育の機会均等の名の下に外国の教育制度を採り入れた結果、教育設備は充実し世界でも有数な教育普及国となり、大学や学生の数も世界一と言ってよいほどになった。にもかかわらず、徳川時代と今日の日本民族を比較するとき、格段の開きが認められる。その顕著な現われは、今日生じている想像を絶するまでの思想的混乱である。中でも戦慄すべき現象は、十二、三歳の子供が凶悪犯罪を犯したり、女子が強盗を働いたりする事実。あるいは新聞や週刊雑誌、テレビなどで伝えられる救いようのない世相の混乱である。これらは一体何に起因するのであろうか。教育者に人材を得ないことも一つの原因であろうが、それよりも、社会全体があまりにも経済中心となり、金儲けに重点を置き過ぎることと、そうしなければ経営が成り立たないという仕組みに、最も大きな原因が潜んでいると思われる。そのため今日の新聞、ラジオ、テレビなどマスコミ機関はその進歩した設備と機能を動員すれば、昔の芝居や浄瑠璃の幾百倍もの力を以て国民を善導し得るにもかかわらず、「儲け主義」のため、また、経営を成り立たせるために、一人でも多くの読者や視聴者を獲得せんと狂奔しているのである。人間は本性として、良いことよりも悪いことを見たり聞いたりしたがる欠陥を有するものだが、マスコミはこれを逆用して、大衆の低俗趣味に迎合するような材料を、針小棒大に大きな紙面を割き、人殺しや西部劇のような残忍な番組を視聴率の最もよい時間帯を選んで放映する。これによって、学齢以前の無地白地の如き純真な幼児の心に悪い印象を植えつけている。昔は学校教育こそなかったが、浄瑠璃やその他の手段によって、自然と国民教育を行っていた。現在はその逆で、大学へ行かなければ一人前でないほど大学教育を重視し、教育施設も整いながら、人間が腐敗堕落しているのも、国民的娯楽手段の悪用が、その大きな原因となっていると思う。金儲け中心、経済中心の社会組織の矛盾を改めない限り、解決の道はない。現在の混乱状態をもたらせたもう一つの原因は我が国の憲法にあると言える。日本の国民がこのように不自然な方向へ誤り進むのを抑え是正せんとしても、不幸にして我が国は、敗戦後自壊作用を起こさせるような日本の憲法を強制的に押しつけられているために、混乱状態を収拾する力がない。現在の日本民族は国土はありながら、心の母国を失った骨抜き民族と化している。これに比べユダヤ人は、国土はなくとも、強い民族の誇りと魂のふるさとをはっきり自覚しているところに、世界的に大きな勢力を持つことができるのである。日本は猫も杓子も大学教育を受けながら魂のふるさとを失い国家観念を喪失し、刹那的な自己の欲望を満たすに急で善悪の区別をわきまえる力を失っている。このような状態は容易に是正できるはずなのに、それができないのは憲法の矛盾があるからに外ならない。戦後すでに二十年を経過している。この際、政府は、法律を改めて国民の精神的悪化を阻止するよう、権力を以て立ち向かうだけの力がなければならないのに、現在、すでに国家は骨抜きにされ、自然崩壊寸前にある。この際、国民は冷静な判断を以て日本本来の姿に立ち戻り、憲法の矛盾を改め、法の力によって改善合理化を進める以外に、いかなる政治家が出ようとも日本を救う道はあり得ない。国民は畢竟(ひっきょう)人間の集まりだ。すべては人間中心でなければならないのに、金銭本位になっているのが現在の憂うべき姿である。将来国家を背負って立つ指導者にもなり得る優秀な若者を、莫大な金力に物言わせて引き抜き、野球選手や流行歌手に仕立ててみても、国家全体の繁栄にはマイナスにこそなれプラスにはならない。

■憲法を立て直し、理想的な国家社会を建設することが焦眉の急である。

即ち日本の国家や家族制度を自然の法則にかなった模範的な形に立ち帰らせるところに国民の精神的統一が成就され、何ものも抗し得ない、偉大な国力の充実が可能となり、民族の発展が約束される。我が国が三千年近くの年月にわたって一度も外敵に侵されず今日まで存続し得たのも、この、自然に発達した理想的家族制度そのものによるのであって、今日のように家庭を無視し、忠孝や国家観念を喪失しては、もはや魂を失った浮草同然と言うべく、いたずらに外部の力に翻弄される腰抜け民族と化するのも当然の結果と言えよう。狭い国土にありながら、ある者は共産主義に、ある者は民主主義に走るといった無定見ぶりである。民主主義といい、共産主義といい、それは特定の国にあって特定の条件の下に生まれた独特のもので、その国そのものにある。アメリカは民主主義、ソ連は共産主義が現在最も都合のよい方式なのである。日本の独特の性格も伝統の上に生きてきた。したがって、「日本主義」とも言うべき古来からの方式が最も理想的であるはずである。この一見単純にして最も根本的な考え方に従って再起する以外に、日本民族の直面している恐るべき自壊作用を救う道はない。

大塚寛一先生

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