携挙の学び

 

 

最近、デジタルの断捨離をしています。

以前に携挙の学びをした時のノートを見つけました。

皆さんにシェアできる、質の良い内容だと思うので、

何回かに分けてシェアしたいと思いますおねがい

 

携挙について学ぶにあたって、まず、何が「預言」で、何が「奥義」なのか、聖書にはどう記されているのかを明らかにする必要があります。

 

聖書全体を通して明らかなのは「預言」はイスラエルの民に関してで、

「奥義」はキリストの体である教会に関してです。

 

このイスラエル (ユダヤ人)と教会(キリストの体)を聖書的に区別しないと、混乱を招く原因となります。

 

キリストの日と 主の日。The Day of Christ VS The Day of the Lord

 

「キリストの日」、としても知られる「携挙」は、教会、キリストの体に対してのみ。

「奥義」と言われているもの。

復活した主イエス・キリストによってパウロだけに啓示されました。

(ローマ11:25; 1コリント15:51-53)

 

 「主の日」は神の怒りで(「大患難」:マタイ 24.21)、キリストの再臨を指し、

千年王国、そして新しい天と新しい地の創造へと続きます。

(マタイ24章; 黙示録5-21章)

「携挙」と"再臨"は、どちらも同じ時期に起こるのでは?と、混同されがち。

 

キリストの日 / 携挙 または 主の日 /  再臨は非常に重要な違いがあります。

 

両者の対比

 

キリストの日

主の日

教会(キリストの体)のために

キリストを拒絶する者達へ

祝福と報酬の日

審判の日(怒り)

天国への希望

地上での絶望

待ちに待った

恐れられ、恐れられた

 

聖書に記された大きな違い

 

1) 空中で あう- - 地上であう

携挙 (キリストの日)キリストは信者に「空中で」会う

1テサロニケ4.17 

再臨 (主の日)キリストは地上で信者たちと会う

ゼカリヤ書 14.4


 

携挙 信者は空中で主に会う:

 

4:16 主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、

4:17 次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。1テサロニケ4.16–17

 

再臨 主は地上で信者たちと会う。

 

14:4 その日、主の足は、エルサレムの東に面するオリーブ山の上に立つ。オリーブ山は、その真中で二つに裂け、東西に延びる非常に大きな谷ができる。山の半分は北へ移り、他の半分は南へ移る。ゼカリヤ書14章4節

使徒行伝1章11節

 

2)前患難説 

携挙 苦難が起こる前に 

 

主の再臨の後、

イスラエルの民と世界中の不信仰な国民に対して神が懲らしめ,

最後の審判をします。

 

1:10 更にまた、どのように御子が天から来られるのを待ち望むようになったかを。この御子こそ、神が死者の中から復活させた方で、来るべき怒りからわたしたちを救ってくださるイエスです。(1テサロニケ 1.10)

 

「その苦難の日々の後、たちまち太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は空から落ち、天体は揺り動かされる。そのとき、人の子の徴が天に現れ、地上のすべての民族は悲しみ、人の子が偉大な力と栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見る」(マタイ24章29-30節)

 

救出 か 審判か

 

信者は神によって地上から連れ去られます。

携挙は救出

「そして、死人の中からよみがえらせた御子、イエスを天から待ち望んでおられる。私たちを救った来るべき怒りから」(1テサロニケ 1.10)

 

再臨は審判

 

不信者は神によって地上から排除されます。

「あなたが、わたしの忍耐について言ったことばを守ったから、わたしも、地上に住む者たちを試みるために、全世界に来ようとしている試練の時には、あなたを守ろう。(黙示3.10)

 

隠れた (秘密) なのか、全員が見るのか

 

携挙

聖書によれば、それは瞬間的な、隠された出来事となります。

 

わたしはあなたがたに神秘を告げます。わたしたちは皆、眠りにつくわけではありません。わたしたちは皆、今とは異なる状態に変えられます。 最後のラッパが鳴るとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は復活して朽ちない者とされ、わたしたちは変えられます。(1コリント15.51-52)

 

再臨

聖書によれば、すべての人が目にすることになります。

見よ、その方が雲に乗って来られる。 すべての人の目が彼を仰ぎ見る、 ことに、彼を突き刺した者どもは。 地上の諸民族は皆、彼のために嘆き悲しむ。 然り、アーメン。(黙示1:7)

 

いつでもなのか、ある出来事の後なのか

 

携挙は差し迫っており、いつでも起こる可能性があります。

 

また、祝福に満ちた希望、すなわち偉大なる神であり、わたしたちの救い主であるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望むように教えています(テトス 2.13

 

再臨

次のような現象が現れるまで起こらない:

 

"すぐに 苦難の後その日には、太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は天から落ち、天の万物は揺り動かされるであろう。」(マタイ 24.29)。

 

「キリストの日」

フレーズ「キリストの日」 または 「主イエスの日」使徒パウロにのみが使った特有のものです。

このフレーズは1コリント1.8, 3.13, 5.5;  2コリント1.14;  フィリピ1.6 & 10, 2.16 に登場する。

パウロはの彼の生涯最後の手紙の中でも書いています。(2テモテ1.18, 4.8)

 

続きは後日に。