みなさん、おはようございます。今朝の人類の大救世主:現人神大塚寛一先生のみ教えのロニ如是我聞は下記でございます。「心の眼」で拝読されてくださいませ。大塚先生は1891年神国日本の四国阿波(あわ)にご降臨され、1972年に「神の座」にお戻りになられましたが、皆さまの心が神界に佇立される大塚寛一先生に通じますれば、素晴らしい幸福がもたらされると確信しております。下記は如是我聞ですが、大塚先生の教えの多くの原文は国会図書館へいきますと「鶏鳴新聞」(1984-1993)「神霊時報」(1984-2014)という2つの新聞で過去数十年の多くの教え原文を閲覧することができますことも申し添えさせていただきます。
政治のやり方を見ても、欧米と東洋とは根本的に違っている。欧米には政党政治があるが、それは反対せんがための反対の政党でなくして、その政権を握っている政党が脱線しないように、軌道から外れないように、目付役みたいなような立場の反対政党はある。日本のように、反対せんがための反対を主張して、そうして、政治を混乱に陥らしめるような政治のやり方はないはずだ。国の政治というものは、一つの船に指揮者が一人であるように、最も優れた者が指揮して、そうして、一定の方向に向かって国民の総力を発揮する時に、最大の国力が発揮できる。日本のように、反対せんがための反対をすることは、国力を二分も三分もしてしまって、真の国力を発揮することはできない。ものは四年ごとに代わるというようなことは、これも不自然な状態である。ものは何でも、長くそれに携わってゆくほど経験が積めてくる。もしそれが、四年や五年ごとに代わってゆけば、その結果、政治は官僚政治になってしまう。官僚は、ずっとそれに携わってきて経験を積んでいるが、専門的で、総合判断を誤る恐れがある。国の政治に、視野の広い、総合判断にたけた者が当たるべきである。馴れかけたら、取り替え、取り替えしていることは、国家にとって大きな損失である。だから、本当にその人が適任者となったら、どこまでもその人の欠点を皆が寄って補って、特長を生かしてゆくことが大切であり、どこまでも国力を統一してゆく時、真の発展が得られる。日本の国では、大学なり諸々の教育機関は充実していて、日本人ほど、国民全般に教育が行き渡っている国は少ないが、真の政治家、指導すべき人材を得ないために、全くの混乱状態に陥っている。日本の国は、非常に進んでいるように見えながら、国家観念を失ってしまって、目前の利己主義に迷っている。すでに、国がありながら、魂の故郷を失ってしまっている。ユダヤ民族などは、国はなくても、魂の故郷、誇りというものを持っているところに、偉大な力が発揮できている。中国人も国力の消長はあっても、それにかかわらず民族としての修練ができており、国がどうあっても、この地上から抹殺されることはない。ユダヤ人も同じことだ。日本の国は惜しいことに、義務教育は行き渡っているけれども、国家観念、民族の誇りを失っている。いかに領土が広くても、文化が進んでおっても、魂のぬけがらの国は滅亡するより外ない。インカ帝国のように一時全盛をつくって誇っておっても、魂が空虚になると滅亡してしまう。今までにも、世界に非常に勢力のあった国があっても、ひとたび魂の拠りどころをなくしたものは、みな地上から消滅してしまっている。日本の国は戦争にたった一回敗けたからといって、日本ほど優れた民族はないにもかかわらず、古草履のように脱ぎ捨ててしまって、外国の模倣に走ってしまっている。その外国の模倣をするのも、はっきりとその真相・真髄を把握していて、その特長をとり入れるのならよいけれども、何らの見境もなしに模倣することは、これほど誤ったものはない。鬼は鬼で結構、虎は虎、猪は猪で、自己を最高度に発揮するところに生きる途はある。大根は大根でよい。人参は人参でよい。ゴボウはゴボウでよい。ゴボウが大根を真似ることも間違いである。自己の本質を自覚して、そうして、自己の特長を最高・最大に発揮するところに、はじめて、生きがいのある発展が得られるのである。

