「ヌーソロジーが面白い」というマガジンでは、ヌーソロジーという思想体系を創り上げた半田広宣さんの「2013:人類が神を見る日」と「2013:シリウス革命」という2冊の本を読み解きながら、私たちの意識(魂)の出自や私たちがこの世界に存在している理由を紐解いています。
そこで前回は、私たちの意識は創造の原因となるオリオンという意識領域から、新たな創造の種子を得るために、プレアデスという意識領域にやってきて、またオリオンに戻っていくということを説明しました。
私たちの意識の出自となるオリオンという意識領域は精神で形作られた世界であり、今、私たちが存在しているプレアデス領域はオリオンの世界とは真逆の世界です。
したがって、私たちはオリオンという精神性のみの世界から、このプレアデスという世界に降り立ちオリオンでは決して体験できない身体性のある物質意識を体験しに来ているということになります。
深山に宿る神は、不死であり、
これを母なる神秘と言う。
一方、父なる神秘が宿るのは、
天地を支える大黒柱たる世界の根源である。
こちら、私の愛読書である「老子 あるがままに生きる」という「老子道徳経」の超訳本からの引用になりますが、この老子の言葉は、まさに母なる神秘とはプレアデスであり、父なる神秘とはオリオンにあたるのではないかと考えたりします。
前回、お伝えした通り、私たちは2012年末までは調整期というべき人間次元を味わう時期を過ごしていましたが、2013年より覚醒期に入っていることから、これからは人間次元であるプレアデスの意識領域を卒業して、オリオンへと帰還すべく意識進化を果たしていくことになります。
そこで、今回は、2012末までの調整期に私たちは何を経験していたのか、ということを振り返り、また覚醒期であるこれから先をどのように過ごしていけばいいのかを先ほどの2冊の本から読み解いていきたいと思います。
調整期にしていたこと
私たちがオリオンから意識を変換させてあえてプレアデスにやってきたということが理解できると、人間次元である調整期で何を体験しなければならなかったのかが理解できるようになります。
どういうことかというと、オリオンとプレアデスは真逆の世界であるため、いわゆる精神性とは反対になる物質意識を体験するためにこの世界にやってきたということになります。
またオリオンの世界は一元の世界であるのに対し、このプレアデスの世界は「善悪」、「男女」、「ポジティブ/ネガティブ」といった二元の世界であるため、ある意味では葛藤を体験しに来ているということができます。
そういった意味では、人間次元を体験するための調整期に私たちが意識を進化させて精神性を高めてしまうと、このプレアデス領域に来た意味がなくなってしまうため、こういった葛藤が必要になってくるのです。
というのも、私たちはもともとがオリオンの創造の原因となる存在であったため、何かしらの負荷が掛かっていないと精神性が自然と上がっていってしまうために、意識進化ができないような負荷が掛かるような仕組みが必要だったのです。
このため、およそ6500年という期間がある調整期には、私たちが精神性を進化させないようにするための統制(負荷)が掛かったということになります。
こういった負荷のことを、「ヌーソロジー」の情報源となったオコツトは「プレアデス統制」といっていて、人間が「科学的世界観や唯物論的世界観」を持つようにする仕組みが存在していたと語っています。
そして、覚醒期を迎えた現在においては、こういった統制が徐々に解除されているのです。
人間の意識に覚醒が起きるためには、付帯質の力、つまり、物質的な思考が必要とされます。
こちらの引用は、「シリウス革命」の中のオコツトの言葉を抜粋したものですが、この一文から私たちが覚醒期に覚醒を起こすためには、物質的な思考を得る必要があったということが分かります。
つまり、私たちは6500年という調整期を体験し、現在の覚醒期を迎えるために物質的思考を得る必要があったとうことになるのです。
そして、この物質的思考を調整期に十分に味わった上で、覚醒期にその思考性を反転させて精神的な覚醒を得るというのが、この宇宙に隠された私たちのプログラムだったりします。
私たちの人類の歴史を振り返ると、文字として歴史が残っているのは約4500年前頃からであり、その頃から人類は物質的精神で成り立っていて、有史の歴史のそのほとんどが物質文明の歴史といっていいでしょう。
また、こういった物質文明は、一神教的な精神や権力者とそれに従う者という主従の関係が存在し、それに付随する形でお金というシステムが存在し、こういった縦社会やお金の精度などが、私たちの負荷となって意識の進化を阻む仕組みとなっていたといっていいでしょう。
つまり、私たちはあえて負荷のかかる世界にやってくることで、オリオンの世界では経験できないようなことをプレアデス次元で経験していたということになります。
そういった意味では、私たち人類は十分すぎるくらい人間次元を経験してきたということができ、そしていよいよ晴れて覚醒の時を迎えることができるようになったといえるのです。
とはいえ、私たちはこれまでずっと唯物論的世界観や科学的世界観を経験してきたため、いざ覚醒期を迎えたとはいえ、実際にこの覚醒期をどのように対応していけばいいかが分からなかったりします。
私たちが覚醒できるように用意されたプログラム
「変換人型ゲシュタルト‥‥‥?」
「変換人型ゲシュタルトとは、あなたがた地球人が21世紀以降に持つ空間認識プログラムです。現在の地球人の空間認識は歪曲しています。その歪曲が正しい宇宙的理解からあなたがたを遠ざけてしまっているのです。その歪曲を正常に戻す働きが変換人型ゲシュタルトの役割です。この送信の目的は、わたし自身、つまり変換人型ゲシュタルトをあなたがたにプログラムすることにあります。
これは「人類が神を見る日」の中のオコツトと半田さんの会話の引用になりますが、オコツトは私たちが覚醒するためのプログラムを半田さんに託しています。
したがって、私たちはこのプログラムを理解できるようになると、スムーズに覚醒を迎えられるようになるといっていいでしょう。
このプログラムの内容は、当然「人類が神を見る日」や「シリウス革命」に書かれています。
では、この「変換人型ゲシュタルト」とはどういった内容かというと、人間の空間認識を変えていくプログラムであり、「次元観察子」という様々な空間認識の方法を理解するプログラムです。
私はこの「次元観察子」という空間認識を理解できるようになったことで、人間の主体は外側にあるのではなく、自分の中にあるということを理解できるようになっています。
私たちは、これまでの調整期に、主従の関係やお金のシステムが存在する世界に存在していたため、どうしても主体が外にあると錯覚して生きていたりします。
このため、人は自分を喜ばせることよりも、他者に仕えることなどの義務を果たすことを優先して生きてしまうという傾向が未だに存在していたりします。
しかし、そもそも私たちは、創造の原因となるべき存在であったはずであるため、主体は常に自分にあるのです。こういったことを、「次元観察子」という認識プログラムを理解することで、思い出せるようになったといってもいいでしょう。
もちろん、私の場合は「ヌーソロジー」に限らず、様々な試行錯誤があったからこそ、主体を自分に戻すことができたといえますが、この「ヌーソロジー」の次元観察子の理解も、私が主体は自分にあるということを気づかせてくれた大きな要因の一つとなっています。
そこで、次回から私が理解できている範囲になりますが、この「次元観察子」を理解できるようになるためのポイントを解説していこうと思っています。






