■心 の 高 原
大 塚 遊 仙
困苦幾重(こんく・いくえ)の嚴壁を越へ、
悲喜變轉(ひき・へんてん)の迷路を渉(わた)り、獨(ひと)り心の高原に登れば、早(はや)、細草は微風(びふう)に戯(たわむ)れ、清凉(せいりょう)の氣(き)は衣(ころも)に滿(み)ち、
忽然(こつぜん)として浮世(うきよ)の事、すでに夢となる。
目路(もくろ)の限り、百草(ひゃくそう)の芳花(ほうか)錦(にしき)を延べ、―妍(けん=美しさ、色っぽさ)を競(きそ)いて我れに微笑(びしょう)せんとすれば、
小鳥は嬉々(きき)と遊樂(ゆうらく)を恣(し/ほしいまま)にして、
交響(こうきょう)の綾(あや)は我が心を洋々の天涯(てんがい=空のはて)に
誘(さそ)はんとす。
身を横(よこた)へて草上(そうじょう)の人となれば、笑(わら)ふに笑(わらう)べき變事(へんじ)なく、泣(な)くに泣(な)くべき憂事(ゆうじ)なし。只(ただ)千歳(せんざい/ちとせ=長い年月)の永き、幾萬方(いくまんぽう)の廣(ひろ)きを見る。
悠々(ゆうゆう=遠くはるかなさま、限りなく続くさま)たるこれ過(すぎ)るものなく、蕩々(とうとう=広く大きいさま)たる亦(また)比(ひ)なし。
白雲(はくうん)の頭上(ずじょう)を行くを見れば、天人(てんにん)の舞踊(ぶよう)するかと見へ、遙(はる)かに溪聲(けいせい)の風に乘(の)るを聞けば、
遊仙(ゆうせん=神仙の世界で遊ぶこと)の樂(がく=音楽)を弄(もてあそ)ぶかと怪(あや)しまる。
語るに人無けれど、
對山(たいざん)われに翠綠(すいりょく=みどり色)の衣(ころも)をつけて、不動無憂(ふどう・むゆう)の妙法哲理(みょうほう・てつり)を私語す。
寂寥(せきりょう=ひっそりとしてものさびしいさま)徒然(とぜん/つれづれ=ものさびしくしていること)何方(いずかた/どちら)にもなし。
臂(ひじ)を枕にして、
大地の廻(めぐ)るに從(したが)つて眠り、
再び大地の廻るに隨(したが)つて朝を拜(はい)す
あゝ高原永久に花かほり、
靜謐(せいひつ=しずかでおだやかなこと)限りなし。
只(ただ)長恨(ちょうこん)す。友皆(ともみな)名利(みょうり)に急にして、招(まね)けども來(きた)らず、溪水(けいすい)を汲んで共に、
不死永存(ふし・えいぞん)の、法樂法談(ほうらく・ほうだん)を交(ま)じへ、遊ばんとせざるを如何(いかん)せん。
心の高原夢豊かなり、亦樂盡(つ)きず。
噫(ああ)!!
(昭和二十四年六月二十三日 於 貴船山上)
■聖 華 の 歌
人々よ、唯物(ゆいぶつ)の夢を破れ
今や世界は、世紀の目醒(めざ)めに迫られてゐる
あれ聞け。
聲(こえ)なき聲の警鐘は、山に海に町に村に、轟(とどろ)
轉換(てんかん)の今日
昨日までの一切は、もう用に立ちがたい
新しい冀(こいねが)ふ、明日への大平和の行進には、
新しい原理と光がさゝねばならぬ
人々よ來たれ
新しき高き我が眞理(しんり)の旗の下に。
そして共に行かん、明日の大平和の ……
聖華(せいか)匂(にお)ふ丘の上に ……。

