中曽根康弘は国会議員になっていましたが

彼の先祖は朝鮮支配階級の出自でした。

 

なので、周囲にこういわれ総理大臣になっ

たのです。

 

「あんた、リャンパン(両班)なんだから

うってつけじゃん。やりなさいよ」 と言われ、国鉄改革に取り組みました。

 

時は遡り第二次大戦終戦間際。

 

中曽根は海軍赴任先で経理の仕事をしていましたが、やっていたのは中国での財宝の強奪です。

なので、国家予算以外に膨大な桁がいくつも違う王族の資産があることは知っていました。

 

終戦時に復員した中曽根の背嚢にはダイヤモンドがギッシリはいっており、国会議員になる資金源となったのです。

 

1953年にハーバード大学の夏期セミナーに留学しますがその時に「偶然」隣に座っていたのがヘンリー・キッシンジャーです。この時から目を付けられていました。

 

キッシンジャーこそは、第二次大戦後、

スイスの昭和天皇の口座が凍結されたあと、もうひとつの莫大な財産である中国南部の資産の現金化ルートを知る人物です。

 

昭和天皇と同様に、中国の客家も、阿片戦争で清が欧州に支配されて以降、財宝の蛇口の支配権を失い

 

欧州王族との協議で財産が使われるやり方に変わっていました。そして莫大な資産の換金ルートとは、

 

客家→米国財務省→日銀→天皇差配で各国に配られるやり方に変わっていました。これは、客家も天皇家もじ闇に仕える古代からの血族であるからと、中国にある財宝のかなりの部分も天皇のものであったからです。

 

キッシンジャーが中曽根に近づいたのは、

昭和天皇が握るカギを奪うための策略が

あったからなのです。