皆様、おはようございます❗本日は、人類大救世主大塚寛一先生『御神座52年祭』が万寿山で執り行なわれます!ロニは参拝できませんので、謹んで自宅で感謝の参拝をさせていただきます!毎年『5月18日』は、人類にとって大変、大切な記念日であり、将来的には、全人類が、感謝を捧げる日となることでしょう❗人類の大救世主大塚寛一先生が、この星に降臨された81年間を終えられて、元の「神の座」に戻られた日でございます。


大塚寛一先生は、その年のお正月にも下記「昇天偈」を詩歌にされておられましたが、ご神座される最後の神行事の式典にて、下記をお話されたそうです。


「わしは、今度アメリカに行って来る。現在のアメリカの指導者には、一貫した指導原理がないので、わしが、行って筋金を入れてくる。」と!


そこで、ご配偶であられた大塚國惠先生が「では、私も一緒に、お供させていただきます❗」と言われましたが、大塚寛一先生は


「いや、今回はわし一人で行く。」と言われ、ご自分が『神の座』に戻られることを、預言されたのでございます。


このことは「御神座」(ごしんざ) と呼ばれ『神の座』に戻られたことを意味します。81歳であられました。生前、多数の人々を、大安楽往生「崇高な転生」をさせていた大塚寛一先生は、自らの往生の時におかれまして、想像を絶する神々しさ(こうごうしさ)を表しました。ご逝去の後、そのご尊体を正式に安置する準備が整うまでに、翌年2月6日までを要しました。そして、(その間の)真夏を挟んだ約9か月間においても、大塚先生のご尊体は、少しも変わることなく艶々(つやつや)として、温かく、柔らかでした。


こうして大塚寛一先生は、地上での聖業を終え、より大きな御業(みわざ)をなされる為に、天に帰られたのでございます。


それは、終わりではなく、地球人類の「新しい段階」の輝かしい始まりでした。


下記は、神の座に戻られるお正月に、弟様である大塚保太郎様にその『ご心境』をお話しになり、大塚保太郎様が代筆されたと、聞いております。下記、心の眼でご拝読され、「真の神」の深淵なる「お言葉」を、心で拝読されてくださいませ!


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(昇天偈しょうてんげ) 

白雲峯遊仙   

われ大宇(だいう)、
大宇われ、常に湛然(たんぜん)として
不増不滅、
動静一如、
因果一体、
萬物を看(み)る他物にあらず。

而してわれ、中に
一点の小われをいだいて
即一不離、
大小離著(りちゃく)
自在融通無礙(ゆうずうむげ)。

ここに於て、雲霧をひらいて白日を見る。

噫々(ああ)感涙
ぼうだ、歓喜湧く。合掌 

昭和四七年 元旦 謹書


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 1973年2月6日、人類の聖地奥多摩万寿山にて、大塚寛一先生の『ご神座祭』が厳かに、執り行われたそうです。その日、大塚寛一先生の『神の座へのお旅立ち』を惜しむかのように、小鳥達がさえずり、可愛い虫達は哭き、万寿山には、爽やかな風が吹き、木々が揺れ動いたのでございます!厳かな『ご式典』で、万物がハーモナイズされたそうです!


また、厳粛なお式典が終了後、万寿山全山に、『得も言われない芳香』が漂ったと、ロニは参列された方からお聞きしたのでございます。


下記が世界のメッカに将来なる奥多摩万寿山の概要です。なお、この記事では、団体名も開示しておりますが、ロニは、団体への勧誘は致しておりませんので、あしからず❗あくまでもボランティア発信にて、大塚寛一先生に救われた感謝の実行でございます。

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■御開教

 真の日本神道である宗教法人・神霊教は大塚寛一先生によって、万有顕現の原動力である宇宙精神を御祭神とし、その神号を神霊大神とお定めになり、昭和22年2月11日、日本建国の佳節を期して、兵庫県西宮市の現御本部所在の地において、厳そかに開教されました。


■信仰対象

神霊教の信仰対象は、大塚寛一先生であられます。大塚寛一先生は御生まれながらにして、宇宙の根本理法(宇宙精神)を御体得せられ、主動的に無数の驚異的大奇跡を現わされておられます。宇宙精神は即、神霊大神であり、また大塚寛一先生の御精神です。従って、大塚寛一先生は“実在の神”であらせられます。


■降臨閣

聖地・万寿山の中央にそびえる降臨閣は、昭和40年5月3日大塚寛一先生御生誕の佳き日に竣工し、その内奥には神霊教の中心信仰対象であらせられる大塚寛一先生の等身大の御姿の像が御入魂のうえ鎮座ましましています。


■神の妙音

降臨閣の参道に立って拍手を打つと「きゅっきゅっ」という、日光の“鳴き竜”に似た妙音が響きます。日光の鳴き竜は天井や壁に仕掛けがありますが、ここは青空の下ですから誠に不思議です。また山びこでもありません。しかし、参道から外ずれた位置では、妙音が聞こえません。このことはすなわち、神の道(参道)に正しく従う人にのみ御救済があり、道から外ずれるときは御守護がなくなることの御神示と思われます。


■御入魂

昭和40年5月3日未明、即ち
大塚寛一先生御誕生の日の同時刻に御入魂の儀が執り行なわれ、同儀式、御終了後から前記“神の妙音”が響くようになりました。


■境内

万寿山を南北に貫く旧街道のいただきを万寿峠といいます。御神域は、この街道を挟んで東西にまたがり、その広さおよそ5万坪。所在は東京都西多摩郡秋多町です。山麓には多摩の清流が延々とつづき、関東平野を一望のもとに眺望する多摩丘陵一番の高所であって、よく晴れた日は富士の霊峰が雄姿を見せ、秩父連峰も見渡せる景勝地です。



■御開発の経緯
大塚寛一先生におかれましては昭和34年ごろ、かねてから東京近在に教団の霊地建設のため広大な土地を探し求められていましたが、たまたま神霊教の奇跡を耳にし訪れた東京新聞記者クラブの一記者が、西多摩の有力者並木都議を紹介したので、ある一日、大塚寛一先生には西多摩の景勝を御散策がてら並木氏宅に立ち寄られると、すでに3年前に物故されており、その未亡人には、同じ三多摩の有力者で羽村町に住む羽村五作氏を紹介された。そこで同氏に御希望を述べられたその御対話の中で、青梅市に住む熱心な信者の岩田佐一氏(ワサビ製造で有名な青梅の有力者)の名が出たので羽村氏は、御対話が終わったその足で、すぐ岩田氏を訪れて神霊教をたしかめてから協力を約した。それより話は進展して、両氏の献身的努力の結果、当山の御開発に至ったのでありますが、その間、秋多町多西に住む有力者、竹内伝之助氏が、数十名に及ぶ当時の地主のとりまとめに努力された功労もまた大きく、かくて神霊教の聖地と定まった当山は、昭和38年2月11日御開教記念祭の佳き日にめでたく地鎮祭の運びとなり、当日は、都内有力者・地元名士の来賓200余名、並びに信者代表300名が参列して「鍬入れの儀式」が厳粛、盛大に執り行なわれたのでございます。


■地鎮祭に瑞祥

この日万寿山をとり囲む山々は次第に雲烟(うんえん)に閉ざされ視界より没し、嫋々(じょうじょう)と天と地を去来、渦巻き立ちこもる霊気の中に、万寿山は忽然と雲上に浮かぶが如き奇跡の光見を呈しました。そのとき大塚寛一先生が壇上にお立ちになるや、御背後の上空はにわかに雲晴れて、御神鏡の如き日輪現われ、燦々と光輝を放つ瑞祥が起こりました。また御式典がすすみ、大塚寛一先生が厳そかに“修祓の御儀”執り行なわれるや、浄め給う玉串より御神水が散るごとく、天空よりパラパラと数滴の雨、山上に落つ。昔から「棟上げ鍬入れに欲しきは三粒の雨」という言葉そのままに再度の瑞祥が現われたのでございます。


■万寿山のいわれ

万寿山の古い地主であり、昭和40年東京都で最年長者(101歳)として表彰された秋多町の坂本彦右衛門氏の話によると、「徳川の初期、支那の高僧が随員を伴って日光東照宮参詣の途中、この山道にさしかかると不思議な霊気を感じ、あまつさえ支那の国花である蘭がこの山にだけ咲き乱れ、それも非常に珍しい種類なのでその神秘にうたれ、暫くこの地に逗留し、やがて立ち去るとき、北京にある有名な万寿山にちなんでこの山を“万寿山”と名付けた」といわれます。


■万寿峠

万寿山をほぼ南北に貫く旧街道、山道の頂上を近在の古老たちは万寿峠と呼んでいます。この旧街道は昔から八王子より青梅へ至る本道でありましたが、万寿山が神霊教の聖地に定まった後に、万寿山を迂回する隧道(トンネル)のある新道ができたので旧街道となり、かくて自然のうちに万寿山の参道ができたことも不思議なことといえます。

今一般の地図には“万地峠”とありますが、文化年間(徳川末期)の資料、新編武蔵風土記稿には“万字峠”と記載され、人によって“万路”とか“マンジ”とも書いています。これはいい伝えを聞き誤っていろいろと変わったものと思われます。


■めでたい御山

万寿山には、その名のとおり、たいへんおめでたい因縁がございます。前記、坂本彦右衛門翁(101歳)の長命もさることながら、その後、地主となった人々に長寿者がたいへん多く、その昔はある神主さんの持ち山であって、その人は三人兄弟でしたが、皆そろって90歳以上の長命であったというお話が伝わっています。また万寿山の近在の方々は他の土地と比べ、老人会々員さんが圧倒的に多いということも、まことにめでたいお話です。


■奇蹟の数々

万寿山が神霊教の聖地と定められてからは、現神人大塚寛一先生の御神光は全山に満ち溢れております。したがって御山での行事に参列し、あるいは御奉仕や錬成に参加した信者たちは、それぞれ不思議な体験、大きなお陰を頂戴し、その数は枚挙にいとまがありません。

さて、今日は、特別に大塚寛一先生の貴重な御教えの「ロニ如是我聞」を下記ご紹介させていただきます!


昭和29年5月9日の柳原白蓮、金川文楽との座談会より抜粋!


◎「陽の宗教」により、キリスト以上の奇蹟で皆救われる!

「これからは世界が一変してくる。今までは夜の時代であった。これから人類は、昼の時代に大転換する。昼と夜の境の時に、一つになる。そこの木を見ても分かる。木は、地下の間は、いくつにも分かれている。上に出る時に、一つにまとまるのである!」

「今までの宗教は、皆、陰の宗教である。ただ日本の神道だけが、陽の宗教である。これからの人類の宗教は日本神道である。陽の宗教は、夜の時代には発展しなかったのである!」

「過去の宗教は皆、陰である。穢(けが)れや罪人の神をいうのは陰の宗教である。昼の時代になると、全部は一つになる。どの植物でも、地下から上に出る時は、皆一つになる。光明と自由の世界に出る、その時に初めて陽の宗教に変わるのである!」

「人類のこれまでの夜の時代のものは発展・解消する。わしのところに来たら、仏教も皆生きてくる。仏教は現世よりも来世に重きを置いている。ところが、お坊さんそのものが地獄へ行っている。わしのところへ来たら、皆極楽へ行けるのである。キリスト教も、わしのところに来たら、キリスト以上の奇蹟で皆救われる。神道の方でも、わしのように現代的な説明をしている研究者は、ほとんどいない。原理を把握している人は、ほとんどいないのである!」

神軍リクルーター ロニサランガヤ合掌