この本の中核をなすのは、「ゼロ ポイント フィールド」という量子物理学の概念です。


仏教で言う「空」は、まさにこのゼロ ポイント フィールドに通じる概念です。


深い瞑想によって繋がる場所がここです。


この場所に繋がれば、ソースのエネルギー、すなわちフォトンをダイレクトに獲得できるんです。


本書では、このーフォトンという光のエネルギーについて詳しく解説されています。


フォトンは、生命エネルギーであり、万物を作り出すエネルギーでもあります。


その働きは、まるで意識を持っているかのようです。


人はストレスを感じている時、フォトンを流出させます。


DNA 細胞に蓄えられたフォトンは、人の健康を左右します。


生物間の間で、フォトンは、移動したり、交換され、コミュニケーションを生みだします。


さて、ここからは本の内容から少し飛躍します。


「ラー文書」に登場するラーは、次元という呼び方を使いません。彼は、それを密度と呼びます。


3次密度、4次密度と言った呼び方です。


この密度こそがフォトンの密度です。


遠隔透視者の実験では、遠隔透視者が、遠隔を行っている時、彼らのいる部屋のフォトンの量が以上に増えるそうです。


フォトンが、離れた場所のビジュアルの情報を繋ぐ役割を行っているのです。


テレパシーもフォトンが介在して起こるものです。


ときめきが続く、お花の定期便bloomee(ブルーミー)

 


田坂広志氏の著書をいくつか読んだのですが、先生の著書の中で語られる「ゼロ・ポイント・フィールド仮説」といったのもがあります。すべては導かれている 逆境を越え、人生を拓く 五つの覚悟 (PHP文庫) [ 田坂 広志 ] これは現代科学の最先端で議論されている1つの「仮説」であり、この宇宙には「ゼロ・ポイント・フィールド」と呼ばれるエネルギーの場が遍在していて、そこには宇宙の「過去」「現在」「未来」の全ての情報が記録されているという仮説です。138億年前にはこの宇宙は存在しなかったただ、そこには量子真空が存在したあるとき、その量子真空がゆらぎを起こし、その直後の急激な膨張(インフレーション)を生じ大爆発(ビックバン)を起こしこの宇宙が生まれたこの量子真空の中に「ゼロ・ポント・フィールド」と呼ばれる場が存在し、その場にこの宇宙の過去・現在・未来の全ての出来事が「波動」としてホログラム的な構造で記録されているという仮説です。「記録されている」などと聞くと昭和な私にはついつい磁気で記録する「テープ」を思い起こしてしまうのですが・・ん??過去・現在・未来・・???過去と現在は解るとしても、「未来」の出来事も記録されているってどういうこと・・?といまいち理解が出来ません・・・。 なんでも、現代物理学の世界では、過去も現在も未来も同時に存在しているものとされているそうなんです・・!我々の目の前にある「物質」というものは本来、「存在しない」のだそうです・・!我々が物質と思っているものは全て「エネルギー」であり「波動」に他ならず、それを質量を持った物質、固い個体、と感じるのは我々の日常感覚がもらたす錯覚に過ぎないというのです・・!えええっ・・!?つまりは私が今、こうしてはてなブログを書いたり読んだりしている事であろうが何だろうが、全てはこの宇宙で起こったエネルギーと波動の動きに他ならないということ・・?マジか・・!ってことはつまるところ・・うめじ論が提唱するところの「すべては気のせい」=「相対性理論」これはまさに「相対性理論」ではあ~りませんか!!!(゜゜)マジカ・・・ かのアインシュタイン曰く、我々物理学者のとっては、過去・現在・未来というものは幻想なのですそれが、どれほど確固としたもののように見えても幻想に過ぎないのですとのこと・・・! ・・・では・・「未来」とは既に決まっているということなの・・??否、それは決まっていないのだそうです・・。「ゼロ・ポント・フィールド」に記録されているのは「可能性の未来」なのだそうです・・。それが「現在」となって「過去」になった瞬間に確定するんだそう・・・。なんや・・・当たり前のこと言われているような気も・・しないでもないですが・・いずれにせよ、「可能性の未来」も含めた全てが「ゼロ・ポント・フィールド」には記録されている、という仮説なんですね・・・。 で、この「ゼロ・ポイント・フィールド仮説」では、我々の心がここに量子レベルで繋がっており、その為我々はゼロ・ポイント・フィールドから情報を受け取ることが出来る、というのです・・!波動は、類似の周波数のものと共鳴を起こし、これによりいわゆる「引き寄せ」が起こるというのです・・・。つまり自分の想いと、想いを同じくする人と共鳴を起こし引き寄せが起こり繋がってゆく。我々の心がこの「ゼロ・ポイント・フィールド」と何らかの形で繋がったとき、過去・現在の出来事はもとより、未来に起こり得る出来事も予感、予見することができるというのです。ふむう・・・面白い・・ですね・・・。 「超時空的無意識」の状態になると、時空を超えたシンクロニシティが起こると考えられると先生は説いていますが、これって即ち、僧侶の瞑想や坐禅の境地では??と思ったんですよね・・・。いわゆる無の境地になり、宇宙(ゼロ・ポイント・フィールド)と繋がった状態になる、ということではなかろうかと・・。瞑想により無の境地に至って初めて宇宙(ゼロ・ポイント・フィールド)と繋がる。そこに記録されている過去・現在・(可能性の)未来の情報にアクセスし、引き寄せ、導きを得、自ら悟りを開くと共に民衆救済の施しを行う。 まさにこれ、仏教やブッダの在り様そのものではないでしょうか・・・。江戸時代の後期、北前船で上方と蝦夷地を結んだ淡路の海商・高田屋嘉兵衛は大自然のことを「大日さん」と呼んでいたそうです。「板敷き一枚下は地獄」である船の男たちは、人知を超えた気象をはじめとする大自然の動きを「大日如来」という神、ブッダに例えていた訳です。当初私はこの話を読んだ時、科学技術の無い時代、江戸人の例えの面白さをちょっと微笑ましく感じていたのですが、今回「ゼロ・ポイント・フィールド仮説」ことを読んで、はっ・・!とさせられました。彼らは既にこの、「ゼロポイントフィールド仮説」を知っていた!と思ったんですね・・! 私も昨今、めっきり仏像にハマり寺社を巡るようになったんですが・・その貧弱なる人生の中で仏教に触れる機会も増え、自然と多少なりとも仏教を学習する機会にも恵まれました。そんな中で知った仏像の「序列」。そのトップ・オブ・トップにおられるのが「大日如来」=「宇宙」ということを知ったのです。なるほど、ブッダの最上級クラス、悟りを開いた「如来」、その中にあって更に森羅万象を包み込む存在の「大日如来」=「宇宙」。船乗りが自分達の命が左右される大自然に対して「大日さん」と呼んだその意味が分かり、感嘆のため息をついたものでした・・。そんな科学技術も無い時代に、現代の科学技術の最先端にあっての「仮説」の域に既に達していた・・!そう思うと驚愕です・・。否、江戸時代どころか、仏教や宗教的観点からすればそれどころではない遥か古に、「ゼロ・ポイント・フィールド仮説」の境地にあった訳です・・!これってすごくないですか・・? 現代物理学における過去・現在・未来は同時に存在しているという部分においては、例えば京都の泉涌寺には「三世仏」と呼ばれる仏像があります。これは釈迦如来(既に涅槃に入っている為過去)・阿弥陀如来(現在)・弥勒如来(56億7000万年後にこの世に降臨する未来仏)という、まさに過去・現在・未来が同時にあることを現しているような仏様ということになります。鎌倉時代の重要文化財ですが、既に「知っていた」という事になりましょうか・・・!更に言うと弥勒菩薩における「56億7000万年後にこの世に降臨し民衆を救う」とかって、この時間感覚。ウン十億年とかという時間軸って、これもまさしく宇宙を現すものしにか見えないんですよね・・・。そう思うと背中に冷たいものを感じてしまいます・・。 少なくとも現代の私たちには到底及ばない、めちゃくちゃ深い部分が当時の人々の中にあった、と言えるのではないでしょうか。仏像にしても建造物にしても、遥か古のものを見学していると、その当時の人間の心の深さというか、豊かさに驚愕し圧倒されます・・。今のようにモノに溢れ・・翻って言えば余計なものに囲まれ生きる私達とは、まったく別次元の高次元に生きていた?とさえ思ってしまいます・・。否、そのような「余計なモノ」が徐々に溢れ返る時代になったからこそ、そのような深くて豊かな人間が私たちの中から消えていってしまったのか・・もしかしたらそういうことなのかも知れませんね・・。 と、いうことで、今回は田坂広治氏の著作から「ゼロ・ポイント・フィールド仮説」について、更にはこの現代の科学の最先端をゆく研究の境地に、遥か古の人々は既に到達していた、という所感を書いてみました。そこから「仏教」=「科学」だな!と私は感じますし、「うめじろうの相対性理論」もあながち間違っていない?なあ・・と思う次第であります・・・・^^;笑 最後に、田坂先生の著書には私、純粋に元気付けられます(^^)逆境を越え人生を切り拓いてゆく勇気をいただけますんで、読みやすいですし非常に良かったです!秋の夜長に、「読書の秋」にいかがでしょうか(^^)本日もお付き合い、ありがとうございました。