【マドモアゼル・愛 】

 

今のような生きることが大変な時代では、自分を守らないとやっていけないような気がします。確かに、自分で考え、周囲にだまされない姿勢は大切だと思います。

ただ、それとは別に、何かに騙されないにしても、もっと日常の小さな部分で人の感情は損得に支配されていると思います。

A定食を頼んだのは、ぜったいあの人より自分の方が早かった、なのに、なんであの人の方が先にA定食たべてるんだ、、、、となれば、つい文句も言いたくなるものです。

人はことさら、日常の小さなこと、些細なことにおいてさえ、損をしたくないのです。まして自分が大切にしているもの、持っているものなどを、保ちたい、傷つけたくないと思いますし、それを失うことを考えると恐怖を感じて必要以上の防御心を持つ場合も多いでしょう。

守りたい、損したくない、という気持ちはかなり強いと思われます。多くの人は何か小さなひとつのことでさえ、損したくありません。

そして面白いように、損したくない姿勢から何かを得ることは少なく、常にエネルギーをそのために消費してしまいがちです。

むしろ、損する生き方を決めてしまうと、あらゆる執着がなくなります。損すればするほど、それは損を受け入れる目的に叶っているのですから、自分でも受け止めやすくなります。そうして損を受け入れる姿勢を続けていると、不思議なことに生きることが楽になっていく、、、、執着がなくなっていく、、、、自由になっていくことに人は気づくのです

人から悪く言われた、、、、自分を守ろうとしたら、傷つき、心も消耗するでしょう。しかし、損することをはじめから目的としていれば、ああ損したな、、、となり、苦とはなりません。

バカにされたな、、、と思えば、得したいときや何かを得たい時には我慢できなくなりますが、損してかまわない、、、と思えば、人の批判は損を受け入れるきっかけとなり、苦にならなくなります。

得したい、自分の名誉を保ちたい、悪く思われたくない、何かを維持したい、失いたくない、お金が減るのがいや、、、それは一般的には誰にも共通するものではあるでしょうが、そのこと自体が、重荷となっていることに私たちは気づきません。

損してかまわない、、、むしろ、損することを生きる姿勢にしよう、、、と思えば、何にも人は執着することができなくなります。そして自由になれます。

深い哲学や正しい宗教では、もっと本格的で素晴らしいことを教えてもらえるのだと思いますが、損しながら生きる、という覚悟を持ち、実践すれば、簡単に人は自由になれます。