みなさん、こんにちわ!ロニサランガヤでございます。今朝の人類の大救世主:現人神大塚寛一先生のみ教えのロニ如是我聞は下記でございます。「心の眼」で拝読されてくださいませ。大塚先生は1891年神国日本の四国阿波(あわ)にご降臨され、1972年に「神の座」にお戻りになられましたが、皆さまの心が神界に佇立される大塚寛一先生に通じますれば、素晴らしい幸福がもたらされると確信しております。下記は如是我聞ですが、大塚先生の教えの多くの原文は国会図書館へいきますと「鶏鳴新聞」(1984-1993)「神霊時報」(1984-2014)という2つの新聞で過去数十年の多くの教え原文を閲覧することができますことも申し添えさせていただきます。


神軍リクルーターロニサランガヤ


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日本は、敗戦のために、開国以来組織だってきていた根本の原理を失ってしまった。そして関係各国が寄り集まって「新憲法」が作られ、それによって、現在、この世界的動揺の激しい中を歩みつつある。その憲法によって、ちょうど、ライオンや虎は牙を抜かれ、ツメをとられ、牛や鹿は角を折られてしまったのと同様に、背骨までもが抜かれた「なまこ」的存在となってしまった!牛の鼻木の綱にぶら下がっている国民、その憲法は「主権在民」であり、ちょうど牛に鼻木を入れて、その鼻木に通されている綱に国民が皆ぶら下がっているのである。いかに国が目標を立てて進もうとしても、憲法の鼻木に大勢寄ってぶら下がっているから、国家的善悪は別にして数の多い方に引かれて、目的と結果が相反したところに陥っている。これを改めない以上は、国家の目的を正しく政治の上に現わすことはできない。米を見ても、農家は値上げを喜び、大衆・消費者の方は安いことを好む。また労働者は、資本家の利害に関係なく自己の収入を高めることだけに努力する。どの方面を見渡しても、みな、部分的自己の立場をのみ中心に考えているから、国家はその結果、鼻木を入れた憲法の下に多数の方へ引っ張られ、「大動揺前夜の国家」が、将に千仞の断崖のところに引き寄せられているような危険状態となっている。

■目前の小利を捨て国家的大道につけ

部分的、専門的、目前の利害にのみ捉われて、総合原理を失っていることは、この上もない危険なことである。だから、国民はこの際目覚めて、国家を総合して、その中心を失わないように総合した指導原理の下に、国家の方針を打ち立てていくよう改善するほかに日本再建の途はない。

この日本が今まで三千年続いたのは、国家中心、皇室中心に進んできていて、秩序整然としているところに基礎がある。これを蜜蜂にたとえれば、女王蜂に数万の働き蜂、その他それぞれの働きを持った多数の蜂が、先天的に運命づけられた役割を、何ら不平もなく協力、一致団結して組織整然とした集団生活をしているが、万一女王蜂を失ったら、大将を失った雑兵のようになって、全く混乱状態に陥ってしまい、何の迫力もなくなる。今まで皇室中心にして、そこに国民の末端までが一つの方針・目標に向かって国力を結集しているところに、万国に比類なき偉大な力を発揮して三千年の歴史を維持することができたのである。蜜蜂のような小さいものでも、女王蜂を中心にして団結しているところに、そこに統一した大きな力を発揮している。
■国力を統一して内部崩壊から逃れよ
国家においても、国力を統一すれば、防備の面でも攻める上にも偉大な力が発揮できる。戦いでも大将を失うと、もう統一がなくなって、全部惨敗してしまう。蜂のようなものでも、統制が成ると、人間を斃(たお)してしまう偉大な力を持っている。その根本の組織を忘れてしまって、主権在民であると称し、各分野に割拠して総合した国家を度外視した利己主義に走っている。その結果敵を待たずして内部で対立摩擦を起こし、収拾がつかなくなる。故に憲法は、早急に、敵から入れられた牛の鼻木を外して、そして牛自体の目的に進み得られるような状態に変えなかったら、将に世界は大動揺・大動乱の前夜に迫っているのであり、そのときに混乱に陥れば、敵を待たずして同志相食んで滅亡する恐れがある。結局現在は、専門に走り過ぎて総合統一原理を失っている。これをたとえれば、棟梁のない建築物同様で、少しの風、少しの地震にでも壊滅してしまう。現在はまた、それを待たずして内部の集団的摩擦によって、自壊作用をすでに起こしつつある。一刻も早く日本人自ら私利を捨てて、総合国家的指導原理の確立が、何よりも急務である。

■理想的政治は一国一党が根本原則だ

理想的政治は、一国一党であるべきはずである。しかし物事は、生・成・衰・亡の順序を歩むのが社会的原則である。一国一党で政治をやっていても、そのうちに平和になってくると、次第に腐敗堕落して政治が本質から外れる恐れがある。奢る平家が滅びたように・・・。その時にはじめて、新しい新芽がそこに現われてくる。すなわち、旧政党と新政党とが現われてきて、そこに対立を生ずる。その時の政党は、これはやむを得ない。そして腐敗堕落しかけた政党に代わって新政権が立ち上がる。それがはじめから二つの政党を立てて出発することは、これを正しいあり方とは言われない。政党が対立するということは、相手政党と新たな政党との間に相反した根本思想があるところに成り立つのである。しかしながら、政治は政党に関係なく、総合国家的に、最も有利な最善の道を開いていくのが本筋であるから、もし相手の政党が正しい道を開いていけば、自党は自然消滅すべきものである。

■反対のための反対政党は有害無益だ

それが、政党が政治の常道のように思っていく時に、いかに立派な政策を立てていても、それに反した意見を、反対のための反対の意見を出さなかったら政党の価値がなくなると考え、それが常道だと思って、そして政党政治をどこまでも維持していこうとする者は、ちょうど一つのボートに右に漕ぐ者と左に漕ぐ者とが乗っているのと同じで、国を二分しているのである。泰平・平常の時なら、遊戯的政治もいまだいいけれど、今日のように世界が大移動・大転換の危機に直面して、国家が外部の膨大な圧力に直面している時に、そういうふうな遊戯的政党の存在ということは有害無益である。だからどこまでも全政治家が寄って、最善の道を切り開いて、そして全力を集結していくところに、政治のあり方があるべきものである。それが政党政治、二大政党、三大政党というようなことを言っていることは、政治の根本を誤った考え方である。
 ■外国模倣廃し政治の根本を把握せよ

中共を見ても、台湾を見ても、ソ連を見ても、選挙の改選はあっても、良いものはどこまでも押し立てていて継続している。一軒の少し大きな商店だと、そこに他から入って来ても、二年や三年では、店内の詳細なことには通じてこない。それよりも古番頭の方がはるかによく分かっている。馴れない者でも、二年、三年、五年、十年と積み重ねるうちには、末端まで行き渡った政策を立てることができるようになる。政権をタライ回しにやり、そして欠点を暴いて、実力のありもしない者が他を暴いて倒しにかかる。そして何とかなるようなことを言うのは、これは政治の根本を見失った、全く軌道から外れたやり方である。だから、国家で最も適した適任者を選んで、より以上の者が出るまでは、その者がその衝に当たってゆくべきで、いよいよ大きな錯覚・錯誤を生じたその時には、新しい者が立ち上がる。これは、やむを得ないことである。その時のための政党、すなわち対抗政党のあるということは、やむを得ない非常手段に過ぎないものである。それが、平常つねに幾つもの政党があって、そして善悪にかかわらず、反対せんがための反対をするようなことは、非常な国家的不利で有害無益である。東洋では、常に最も優れた人が出て、その指導の下に国内の適任者を選抜し、適材適所に置いて総合統一してやるところに、東洋的政治の基本原理がある。むやみに欧米を模倣して、その政治の根本を離れて政治をやることは、国家的に非常な有害無益で、場合によっては国を滅ぼす恐れがある。故に結局は、政治の根本をはっきりと把握して、臨機応変、時に応じて善処していくことが何よりも肝心である。阿呆の一つ覚え、杓子定木に固まってしまっては、国家的損失これに勝るものはない。
大塚寛一先生
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